逃げ足の速いエミューに歴戦の猛者も苦戦

農民たちの悲哀に対する政府の応えは、決断的かつ劇的なものでした。
1932年11月、経済的苦境に立たされた農家の嘆願に応え、国防大臣ジョージ・ピアース卿は、かつての戦場で鍛えられたオーストラリア陸軍の一部隊を派遣する決定を下します。
指揮を執ったのは、G・P・W・メレディス少佐。
彼は、最新の軽機関銃と1万発にのぼる弾薬を手に、エミュー駆除作戦に挑むため、兵士たちを率いました。
これほどの武力をもってすれば、いかなる敵もひとたまりもありません。
まして敵はあのエミュー。
今でこそ研究が進み、エミューの意外な知性にもスポットライトが当たりつつあるものの、当時は研究がほとんど進んでいなかったこともあり、「世界で最も愚かな鳥」とまで言われていました。
しかし、予想とは裏腹に、出動初日から戦場は混沌と化したのです。
駆除作戦が行われた時、雨季の影響で大地は乾いておらず、エミューたちは広大な農地を巧みに分散しながら移動していました。
待ち伏せ作戦が試みられるも、予期せぬエミューの俊敏な動きにより、狙撃は思うような成果を上げられなかったのです。
兵士たちは的を絞りにくい相手に次々と弾丸を放ったものの、その効果は限定的でした。
まるで、機関銃の連射すらもエミューの機敏なステップに太刀打ちできず、ただ弾薬だけが無駄に消費される始末だったのです。
次第に、戦況は露骨な失策へと転じます。
オーストラリア軍は、短期間で数羽のエミューを仕留めるに留まり、期待されていた「大掃討作戦」は、まさに自然の猛威に屈する形となりました。
こうした戦闘の開始は、当初の兵士たちの自信を打ち砕くと同時に、後に「エミュー戦争」として語り継がれる、奇妙な戦局の幕開けを告げたのです。