38℃でスイッチオン:精子が超活発になる瞬間

研究チームはまず、マウスの精子に微小電極を取り付けて電流を測定する先端的な手法を用い、精子のイオンチャネル活動を直接観察しました。
徐々に周囲の温度を上げていく実験により、精子のCatSperチャネルが約33.5℃という特定の閾値で開き始めることが突き止められました。
33.5℃前後でCatSperに由来する電気信号が立ち上がり始め、それを超えるとカルシウムイオンの流入が急激に増大したのです。
この温度閾値33.5℃は奇しくもマウスの精巣内の温度とほぼ同じであることが分かりました。
つまり、平常時(精巣内)の温度ではギリギリ作動せず、それより少し温かい環境になると一気に作動するようチューニングされているのです。
実験では実際に、精子の周囲温度が38℃(マウス雌の体内と同程度)を超えたタイミングでCatSperの電気信号に明瞭なスパイク(急上昇)が観察されました。
CatSperが開通すると精子内にCa²⁺が流れ込み、精子の泳ぎ方はナビゲーション用の穏やかな動きから、受精に必要な激しい鞭打ち運動へと切り替わります。
これは、精子自体が「温度計」を内蔵しており、雌の体内という“暖かい目的地”に到達したことを感じ取って、自ら受精モードに入ることを意味します。
しかし、ここで新たな疑問が生まれます。
それほど敏感な温度スイッチが備わっているなら、オスの体内(精巣や精管の中)で体温が上がったときに精子がフライングで暴走してしまわないのでしょうか?
高熱を出した時や入浴・サウナで精巣が温まった場合など、受精前に精子がエネルギーを使い果たしてしまっては困ります。
この点について、研究チームは精液中に含まれる「スペルミン」という天然分子に注目しました。
スペルミンは精液(精嚢や前立腺の分泌液)中に豊富に存在する有機分子で、精子を取り囲む環境成分の一つです。
実験の結果、スペルミンにはCatSperの温度スイッチ機能を一時的にロックする働きがあることが判明しました。
言い換えれば、スペルミンは精子が男性の体内にいるあいだCatSperを安全装置のようにオフの状態に保つことで、たとえ温度が33.5℃を多少上回る状況になっても精子が早まって活性化しないよう防いでいるのです。
射精されると精子は精液から離れ、女性の生殖器官内に入っていきますが、その過程で徐々にスペルミン濃度が低下していきます。
するとロックが外れ、精子は初めて温度センサーのスイッチをオンにできるようになり、雌の体内の温かさを合図にCatSperが作動、受精に向けたラストスパートの泳ぎが始まるのです。
以上の結果から、精子は「温度」と「精液中の天然物質」の二重の仕掛けによって受精直前にのみパワー全開になるよう制御されていることが示されました。