「親の犠牲に感謝しているから人生を捧げるべき」という考えで苦しむ人たち
「犠牲の負債(sacrifice debt)」という言葉は、ナヒド・ファタヒ氏が自身の臨床経験から生み出した概念です。
これは、子どもが親の犠牲や努力に対して“何かで返さなければならない”という見えないプレッシャーを感じる心理的な状態を指します。
ナヒド氏が臨床の現場で出会った多くのクライアントは、外から見ればとても”成功”しています。

立派な職に就き、周囲に親切で、親との関係も良好に見えます。
しかし彼らの多くが口にするのは、「自分の人生を生きている感じがしない」 「親のためにこの道を選んだけど、本当にこれがしたかったのかわからない」といった言葉なのです。
ある女性は、父親から「お前は俺の夢そのものだ」と言われ続け、医師になりました。
彼女は医療行為そのものに嫌悪感はないものの、彼女自身の意思で選んだ職業という実感が持てません。
また、テクノロジー業界で成功を収めた若い男性は、親が戦争から逃れて命がけで移住してきたことを常に心に刻んでいます。
望まれていた学歴や職を手に入れたのに、朝起きるたびに”心が重い”と感じるようです。
しかし親に相談しても、「あんなに犠牲を払ったのに、なぜ不満なの?」と理解されません。
このように、犠牲の負債は子どもたちのアイデンティティを蝕み、抑圧や無力感を生む原因となっています。

特にアジア系、ラテン系、中東系などの集団主義の家庭では、親の期待に応えることが”愛”の証とされやすく、男性には「家族を養え」、女性には「家族の感情面を支えよ」という性別ごとの暗黙の役割も加わり、プレッシャーはさらに強まります。
とはいえ、これを単に「親が悪い」と責めればよいわけではありません。
ファタヒ氏は次のように述べています。
「親たちは愛と強さをもって、想像を絶する苦労をしてきました。
でも、どんなに良い意図があっても、それが無意識に子どもの自由を奪うことがあるのです」
つまり、問題は”意図”ではなく、”構造”にあるのです。
もしかしたらあなたも、同じような「親からの負債」を抱えているかもしれません。
それを手放すには、どうすれば良いでしょうか。