『二度目の宇宙』はなかった――ビッグバウンス理論に訪れた冬の時代

今回の研究が示すメッセージは明快です。
「宇宙に二度目はない」――宇宙が生まれ変わり続けるという循環モデルは、美しく魅力的ではあるものの、現在信じられている物理法則の下では成立しそうにありません。
私たちの宇宙の始まりはやはりビッグバンという一度きりの特異なイベントだった可能性が高まります。
時間と空間もそこで誕生し、それ以前の「何か」と因果的につながることはない、いわば“宇宙のワンオフ(一品もの)”です。
奇しくもペンローズとホーキングが古典的枠組みで導いた結論と同じ帰結に、最新の量子論的視点から辿り着いたと言えるでしょう。
もちろん、物理学の探究はここで終わりではありません。
ビッグバウンスを支持する一部の研究者は「一般化第二法則とて絶対ではない」と指摘するかもしれません。
事実、宇宙全体の創生を扱うような場面では、エントロピーや時間の概念そのものが変容する可能性も議論されています。
量子重力理論という、まだ完成されていない「量子レベルでの重力理論」を考慮すれば、エントロピーや時間の概念自体が大きく変わる可能性があります。
つまり、「そもそも私たちが理解している一般化第二法則は、究極の量子理論の前では成り立たない可能性があるのだ」と、彼らは言うのです。
こうした考え方によれば、宇宙が崩壊しても量子力学的な作用でエントロピーが大きく変動し、新たな宇宙の再生が起こり得る余地が残されていることになります。
将来、究極の量子重力理論(科学者が『オニオンの芯』のように難しいと例える、いまだ未知の理論)が完成すれば、特異点やエントロピーに対する新しい見方が生まれる余地はあります。
もしかすると「特異点は実在しない、別の形態に置き換わる」というシナリオも完全には否定できません。
しかし、それは現在の物理学常識を覆すほどの大変革になるでしょう。
少なくともブーソ氏をはじめ多くの物理学者は「どんな理論においても、時間が止まる境界のようなものは残るだろう」と考えています。
言い換えれば、因果の連続性が途切れる“穴”としての特異点は、宇宙論から逃れられないのではないか、というわけです。
宇宙論のロマンと謎は尽きることがありませんが、少なくとも現時点では「我々の宇宙は一度限りの贈り物」である可能性が一段と高まったと言えるでしょう。
特異点は因果がないわけで
因果がないんだから、時刻とかつながった空間か、関係なく宇宙は断絶していて
なんかあるとしてもいいし、ないとしてもいい
それは、因果がないから、どう仮定しても、どうでもいい。実態に影響がないという感じ
じゃないかと思うんだけど
ビッグバンもあるとされてるけど理論ではあって、観測はできるけど実証できてなくないか
観測の事実があるだけ
そのビッグバンよりはるか遠く、もしくはもっと過去となると、それもそれで因果が絶たれていて
特異点と捉えることもできなくはなくて
ブラックホールの特異点と同じように、その先には、なにがあるとしてもいいし、なくてもいい
なぜかというと、どう設定しても因果がないから、現宇宙に影響がなく、問題ないからだとできなくはない
新たな宇宙とか、過去の宇宙とか、そもそも因果を共有していなければ時間軸が関係なくて
現在からどういう位置関係にあるかも、なんでもありでもあるし、無いとしても影響はない
因果がない訳だから、新しい出現かどうかも関係ない訳で
「一度限りのもの」とするかどうかも、意味がない気がします