「キシュの王」だけに許された黄金カブト
ウルの王墓PG 755の被葬者メスカラムドゥグは、金の短剣やラピスラズリのビーズ、金の椀など豪華な副葬品とともに葬られていました。
しかし同時代の王墓と比べると規模は控えめであり、考古学者ウーリーは「彼はウルの王ではなく、王子であった可能性が高い」と推定しています。
一方で、別の印章(PG 1054)には「キシュの王メスカラムドゥグ」という称号が刻まれており、彼が実際に王として君臨していたことを示す証拠とされる場合もあります。
キシュとはメソポタミアの北方に位置した有力都市で、「キシュの王」とは単なる地元の支配者ではなく、広域支配を象徴する称号でもありました。
この黄金の兜には、そうした「キシュの王」だけが身に着けることを許された特殊な意匠が施されていると見られています。

後頭部のお団子ヘア、リボン状の髪飾り、頭頂部の織帯(ヘッドバンド)など、王権を象徴する髪型がそのまま再現されているのです。
実際、同様の髪型や兜は、後の時代に登場するエアンナトゥム(ラガシュ王)やサルゴン大王(アッカド王)など、いずれも「キシュの王」を名乗った支配者の像にも共通しています。
つまり、この黄金の兜は単なる副葬品ではなく、「王であること」を可視化するための象徴装置だったと考えられるのです。
約4600年前のこの黄金の兜は、現代の目から見れば一種の芸術作品のようにすら映ります。
しかし、それは単なる美術品ではありませんでした。
兜に彫られた髪型や装飾には、王としての資格、都市国家を超えた支配権、そして神と交信する者としての特別な地位が刻み込まれていたのです。