「ダイエットしろ」と言う代わりに行うべきこと

なぜ、従来の「もっと食事を減らし、もっと運動しなさい」というアドバイスがうまくいかないのでしょうか?
理由はシンプルです。それは現実を無視した“幻想”だからです。
たしかに、理論上は「摂取カロリー < 消費カロリー」であれば体重は減るはずです。
しかし、それを実行するには、前述のような脳やホルモン、社会的環境を乗り越える必要があります。
たとえば、報酬系が過敏に働いている人にとって、「食べること」は単なる栄養補給ではなく、ストレス解消であり、生きがいです。
それを単に「減らしなさい」と言うことは、心の逃げ道を奪うことでもあります。
さらに、このようなアドバイスは、“自己責任”という物語を強化します。
肥満の人々には、「努力不足」「自制心がない」といった視線が向けられがちですが、こうした誤解が差別や孤立を生んでいます。
実際に調査では、肥満者の70%以上が職場や医療現場で何らかのスティグマ(偏見・差別・レッテル)を経験していると報告されています。
このスティグマは、子どもたちにまで及び、いじめや自尊心の低下、うつを引き起こすこともあります。
実際、肥満の子どもは社会的な排除に遭いやすく、医療機関でさえも偏見に満ちた対応がされることがあります。
では、どうすればいいのでしょうか?

現在、専門家たちは以下の4つの方向性を提唱しています。
1つ目は、肥満を病気として認めることです。
糖尿病や高血圧と同じく、慢性的で再発性の病気として長期支援が必要です。
2つ目は、スティグマの撲滅。
医療・教育現場での偏見や差別を減らし、共感と理解に基づいた言葉遣いを心がける必要があります。
3つ目は、個別支援の強化です。
文化背景、心理状態、生活環境に応じた多面的な治療を提供するべきです。
4つ目として、社会環境の改善も必要です。
新鮮な食品へのアクセス、公共交通や公園の整備、健康的なライフスタイルを支えるインフラの拡充が求められます。
たとえば、学校で健康的な給食を提供する政策や、公共のジムを無料開放する施策、低所得者への食料補助制度などは、実際に行動変容を促す効果があります。
私たちが本当に目指すべきは、「もっと動け」「食べる量を減らせ」「ダイエットしろ」という単純な命令ではなく、共感と科学に基づいた“支え合う社会”なのです。
正しく理解し、適切に支援すれば、変化は必ず訪れることでしょう。
栄養価の低い高カロリーな食品がどこにでも売られてて、フードデザートなんてのもあるせいだもーん
ぼくちんのせいじゃないもーん
なお本人は野菜の品ぞろえも豊富なスーパーに歩いて行ける所に住んでいる模様
痩せろと言われて痩せることが出来る人は最初から太りませんからね。
太っている時点でそういう事はできないということなのですから違う方法を探すしかないのです。
そしてそれは人類としてはごく普通のことなので責められるいわれはないわけです。
当人が強く望むのなら外科処置でいいと思いますよ。
精神的なものが原因なのなら食べる以外の娯楽を用意してやればいい話ですしね。
心の逃げ道かぁ
なんだか鬼滅の刃の甘露寺蜜璃のお見合いの話を思い出した
寝食を忘れるほどオンラインゲームにのめりこめば
おかーさんが部屋まで食べ物をもっていかない限り
痩せるに違いない