無数の原子が描く「猫動画」の衝撃
無数の原子が描く「猫動画」の衝撃 / Credit:AI-Enabled Parallel Assembly of Thousands of Defect-Free Neutral Atom Arrays
physics

原子が描く「猫動画」の衝撃 (2/3)

2025.08.12 22:00:02 Tuesday

前ページ原子の世界で「シュレーディンガーの猫」が上映される

<

1

2

3

>

数千個の原子を同時に操る技術とは?

画像
FIG1は、この研究の原子並べ替えシステム全体の流れを図で示したものです。まず最初に、平面上にたくさんの「光のトラップ」を作り、そこに原子がランダムに入り込む状態を用意します。次に、AIを使って「どの原子をどこに移動させれば理想の配列になるか」という最適なルートを計算します。このとき、全部の原子をまとめて少しずつ動かすという方法をとっているのが大きなポイントです。実際には移動ルートを20個くらいの小さなステップに分割し、その都度AIがホログラム(光の設計図)を作成します。これを光の装置(SLM)にリアルタイムで表示しながら、すべての原子を一斉に目的地へ誘導していきます。最後には、欠陥のないきれいな原子配列が完成します。Credit:AI-Enabled Parallel Assembly of Thousands of Defect-Free Neutral Atom Arrays

まず、実験で使われた「学トラップ」という装置について簡単に説明します。

光学トラップとは、強いレーザー光の焦点を使って、目に見えない小さな原子を“ピンセット”のように捕まえる仕組みです。

このレーザーピンセットを平面上に何千個も並べておくことで、それぞれのトラップの中に一つずつ原子を入れることができます。

ただし、原子は自分の意志で動くわけではなく、どのトラップに入るかは完全にランダムです。

たとえば100個のトラップを用意しても、運が良くても65個程度しか原子が入らないことが多いのです。

つまり、たくさんトラップを用意しても、そのままでは「ところどころ穴があいた」不完全な配列しかできません。

そこで、次に必要なのは「空いている場所に原子をきちんと並び直す」作業です。

ここで活躍するのが高感度カメラとコンピュータです。

画像
FIG2は、この実験に使われた装置の全体像を示しています。まず、レーザーの光を「空間光変調器(SLM)」という特殊なスクリーンに通すことで、好きな場所に光の焦点を作り出します。この光の焦点が「光ピンセット」となって原子を捕まえます。レンズや鏡などを通してレーザーの焦点を細かく制御し、たくさんのトラップを平面や立体的に並べられるようにしています。原子がどこにいるかは、蛍光の光を特殊なカメラ(EMCCD)で撮影して観察します。立体的な配列の場合は「電気で焦点を変えられるレンズ(ETL)」を使い、層ごとにピントを合わせることもできます。この全体の流れの中で、AIがリアルタイムで光のパターン(ホログラム)を設計してSLMに送り、原子たちを同時に目的の場所に誘導する仕組みになっています。Credit:AI-Enabled Parallel Assembly of Thousands of Defect-Free Neutral Atom Arrays

まず、カメラで全てのトラップの様子を撮影し、どの場所に原子がいてどこが空席なのかを“地図”のように記録します。

この情報をもとに、「この原子はここへ、この原子はあちらへ」と、一番効率のよい移動計画を立てるのが重要なポイントです。

その際に使われたのが「ハンガリーアルゴリズム」という計算手法です。

これは、もともと世の中のさまざまな“割り当て”や“最短経路”を素早く計算するために考えられた数学の方法で、今回はそれを高速化して利用しています。

これによって、すべての原子ができるだけ短い距離を動き、しかも移動中に原子同士がぶつからないようにする最適なルートが決まります。

画像
FIG3は、原子を動かすためのホログラムをAIがどうやって作り出しているかを表しています。まず、研究チームは、原子の動かし方のシミュレーションデータをたくさん作り、それをAI(ニューラルネットワーク)に学習させました。AIは、「この原子をこの場所に動かしたい」という情報を受け取ると、自動的に最適なホログラム(光の設計図)を一発で計算できるようになります。ホログラムは「どこをどのくらいの強さと位相で光らせればよいか」という複雑な情報を含みますが、AIはこれを非常に速く正確に計算します。また、AIが作ったホログラムをもとに原子の配置を実際に動かした結果、位置の誤差は20ナノメートル(1ミリメートルの50000分の1)ほどしかなく、位相のズレもごくわずかでした。「AIの学習→推論→実際のホログラム生成→高精度の移動」という流れがわかるでしょう。Credit:AI-Enabled Parallel Assembly of Thousands of Defect-Free Neutral Atom Arrays

ただし、原子はとても小さく、急に動かすとピンセットから飛び出してしまう危険があります。

そのため、一気に目的地まで連れていくのではなく、20回ほどに分けて“少しずつ”“なめらかに”動かします。

例えるなら、重たい机をいきなり持ち上げるのではなく、床の上を何度も押して少しずつ滑らせていくイメージです。

この細かいステップを実現するために、研究チームは「ホログラム」と呼ばれる“光の設計図”を毎回AIで計算し、その設計図を空間光変調器(SLM)という特殊な装置に高速で表示します。

SLMはレーザーの形や向きを自在に変えられるスクリーンのようなもので、1秒間に1000回というスピードでホログラムを書き換えます。

そのたびにピンセットの位置も微妙に変わるため、原子たちはぶつかることなく、みんなで一斉に少しずつゴールへと進みます。

まるでパラパラ漫画のコマを素早くめくると絵がなめらかに動くように、原子の動きもスムーズです。

この「原子の大移動」は、なんと全体で約60ミリ秒(0.06秒)という驚くほど短い時間で終わります。

しかも、これまでの方法と違い、並べる原子の数が1000個でも1万個でも、かかる時間はほとんど増えません。

これは世界的にも画期的なことです。

画像
FIG4は、この技術で作り上げた原子配列の“作品ギャラリー”を写真で紹介しています。まず、一番大きな例は45×45の正方形にほぼ全て原子が入った「2024個の原子配列」で、空きはたった1個しかありませんでした。また、「USTC」という大学名の文字を723個の原子でピッタリ描いたものも見られます。さらに、3層に分かれた立方体(直方体)の配列では、合計1077個の原子がきれいに3層に積み重なって並んでいます。もうひとつ面白い例は「ツイスト・グラフェン」を模した立体構造で、3つのシートを少しずつ角度を変えて重ねることで、特有の“モアレ模様”まで原子の並びで再現しています。どの例も、ほとんど欠けのない非常に美しい配列になっていて、実験で作られた実際の原子の写真が並んでいるのが特徴です。「原子で好きな形をつくる」技術の実力がわかるでしょう。Credit:AI-Enabled Parallel Assembly of Thousands of Defect-Free Neutral Atom Arrays

こうした技術を使い、研究チームは最大45×45=2025個の場所のうち2024個という、ほぼ穴のない原子配列を作ることに成功しました。

さらに、723個の原子で大学名「USTC」の文字を描いたり、自由な形やパターンも再現できることを実際に示しています。

また、最大549個の原子を使って「シュレディンガーの」のイラストを“動画”のように再現することもできました。

この猫動画は、原子の配置が次々と切り替わる様子を33倍にスロー再生したもので、本当は私たちの目では追いつけないほど速い変化が起きているのです。

さらにこの技術は、平面だけでなく立体的な配列にも応用されています。

研究チームは原子を3層に積み上げて、まるでレゴブロックのような直方体の立体構造を作りました。

このとき、層をまたいで原子を移動させると損失が増えるため、基本的には各層ごとに原子を動かす工夫をしています。

例えば、19×19の正方形を3段重ねた配列では、1083個中1077個という高精度な3D配列ができました。

また、最近話題になっている「ツイスト・グラフェン(ねじれたグラフェン)」という新しい物質構造も再現されています。

これは、3層の原子のシートをそれぞれ少しずつ回転させて重ねることで、縞模様(モアレ模様)が現れる仕組みです。

研究チームは、このパターンを752個の原子で見事に作り上げており(756個中4個だけ欠け)、どんな複雑な形でも思い通りに作れる技術だということを証明しています。

次ページ量子コンピュータ時代の基盤技術へ

<

1

2

3

>

人気記事ランキング

  • TODAY
  • WEEK
  • MONTH

Amazonお買い得品ランキング

物理学のニュースphysics news

もっと見る

役立つ科学情報

注目の科学ニュースpick up !!