いらない情報を不確定性に押し込み必要な情報を抽出する

不確定性原理を回避するにはどうすればいいか?
彼らが思いついたのは、「真正面から不確定性原理にぶつかるのではなく、巧妙に回り込んでしまおう」という大胆なアイデアでした。
量子の計測では、このような情報の「精度」を測定するための「不確定性の総量」があらかじめ決まっています。
そしてその「総量」の中で、「どの情報を曖昧にし、どの情報を正確にするか」を工夫する余地があります。
そこで研究チームは、「モジュラー計測」という独特な方法を使いました。
これは「測るものの絶対的な数値」ではなく「どれくらいずれているか」という差分だけを測定する、非常にユニークな発想の計測方法です。
例えるなら、通常の時計が「何時何分」と絶対的な時刻を示すのに対し、「モジュラー計測」は、時計の針が「何分進んだか」や「何分遅れたか」というずれだけを測るようなものです。
一見すると「何時か」という重要な情報を捨ててしまっているように見えますが、この「差分」に集中することによって、これまでにない精度で小さな変化を鋭敏にキャッチできるようになるのです。
限られた「不確定性」というリソース(資源)の中で、その「配分の仕方」をうまく変えることで、本当に欲しい情報だけを従来より高い精度で取り出せるようになるという仕組みなのです。
具体的な実験では、小さな粒子である「イオン」が使われました。
イオンとは、電気を帯びた原子のことで、目には見えないほど小さいものです。
研究チームはこのイオンを、真空状態(空気もない空間)の中で特殊な電場を使って浮かせました。
イメージとしては、空中に糸も何もないのに浮かんでいる、目に見えないとても精密な振り子のような感じです。
このようにイオンを安定して浮かせた状態にして、さらにそのイオンに向かって特別なレーザーの光を当てました。
レーザーの光をうまく調整すると、イオンはいる可能性の高い場所が「規則正しい縞模様(しまもよう)」のように並ぶ、特別なパターンをもったグリッド状態と呼ばれる状態に変化します。
具体的には、このグリッド状態を使って、位置と運動量を「一定の幅ごとに区切って折り返す」という、ちょっと特殊な処理をします(これを「モジュラー変数」と呼びます)。
なぜそんなことをするのかというと、粒子の位置と運動量は普通、同時に測るとお互いに邪魔をして精度が落ちてしまいますが、一定の幅で「折り返した量(モジュラー量)」として扱うことで、二つの量が互いに邪魔をしにくくなるからです。
コラム:具体的に何を捨て何を得たのか?
この実験は、粒子の位置と運動量を“ぜんぶ”は追わず、細かなズレだけを同時に拾うための設計でした。研究者たちは、イオン1個の運動を格子(グリッド)状態に整え、位置と運動量の“モジュラー量”を読みました。ここで捨てたのは、位置なら「どの格子マスにいるか」という大域の区画番号、運動量なら「大まかな等間隔の段(大きな飛び)」といった粗い文脈です。これらは“不確定性の側”に押しやって区別しないことにします。代わりに得たのは、同じ格子マスの中でどれだけズレたかという微小な残り(剰余)で、位置と運動量の両方について、その“残り”を同時に高精度で読む力です。定規でたとえるなら、「何センチ目か」は見ないが、「直前の目盛りから何ミリ」はとても正確に読む、という発想です。もちろん測れるのは一つの“区画”の幅(周期)内が基本で、もし信号が区画の境界を越えるほど大きくなると、「どの区画にいたのか」の手がかりが薄くなります。つまり範囲と精度のトレードオフ(方法配分の最適化)があるのです。この戦略によりチームは古典的な測定の限界を超える高精度で位置と運動量を同時に測定できることを実験的に証明しました。
つまり、位置や運動量をそのまま直接的に測るのではなく、「ズレ」だけを見るようにすると、二つの量を同時に高い精度で測れるようになるのです。
その結果、もともと同時には測れないはずの二つの性質について、「細かい部分だけを一緒に測る」という抜け道が生まれました。
真正面からぶつかっても壊せなかった量子力学の鉄則を破らずに、「抜け道を回り込む」ことで克服する――。
研究チームは、この驚くべきアイデアを実際の実験で見事に実証したのです。