他人をアバターにする技術

もし自分の腕が自由に動かなくなったとしたら、あなたは何を感じるでしょうか?
ロボットの義手やAIの技術が発達した現在では、自分の意思に応じて動く「第二の手」を手に入れることも夢ではなくなってきています。
しかし、そういったロボットアームや義手が実際の自分の手と同じように繊細な動きをして、自然に物を掴んだり、指先で触れた感覚をリアルに感じ取れるかというと、まだ完全とは言えません。
いくらテクノロジーが進歩しても、「本物の手」の感覚を完全に再現するのは極めて難しいのです。
ところが、ここでひとつ興味深い発想があります。
それは、ロボットの手ではなく、誰か他の人間の手を使ったらどうだろう?というアイデアです。
自分の脳からの指示で、他人の手を遠隔操作し、その手が触れたものを、まるで自分の手で触れているように感じ取れる。
いわば、他人の身体を自分の「アバター(自分の分身)」として借りてしまおう、という大胆な発想です。
ここで少し、背景となる知識を整理しましょう。
そもそも私たちが手を動かしたり、ものに触れて感じたりする仕組みは、すべて「脳の中の電気信号」によって成り立っています。
例えば、手の筋肉を動かそうとするとき、脳の中の運動野(手足の動きをコントロールする場所)から電気信号が筋肉に送られます。
逆に、何かに触れた感覚は、皮膚や指先にあるセンサー(触覚受容器)が感知した情報を電気信号に変えて、脳の中の体性感覚野(触れた感じを認識する場所)に送っています。
この脳内の電気信号を読み取って機械を動かす技術を、「BCI(脳コンピューター・インターフェース)」と呼びます。
具体的には、頭の中にとても小さな電極を埋め込み、脳が発する電気信号をコンピューターが読み取ります。
そして、その信号をロボットアームや義手に伝えて、実際の動きを再現するのです。
最近では、こうした技術を使って、考えるだけで麻痺した自分の手を再び動かしたり、ロボットアームを操作したりする実験が成功しています。
また、手や指で感じる触覚を取り戻す試みも進んでいます。
それは義手に取り付けられた触覚センサーが感じ取った情報を、電気信号に変えて脳の感覚野を直接刺激するという方法です。
こうした技術が完成すれば、麻痺で失われた手足の感覚を電気信号によって脳に取り戻すことも可能になるでしょう。
いわば電気による「神経の架け橋」が作られているわけですね。
しかし、これまでの研究には明確な限界もありました。
例えば2014年には、頭に付けた脳波計(EEG)で「動かしたい側」の脳信号を読み取り、別の人の頭を外側から磁気刺激(TMS)して、その人の指を動かす実験が行われました。
確かに他人の指は動いたのですが、これはあくまで一瞬だけ単発的に動く程度で、連続した複雑な動きを再現することはできませんでした。
しかも一方向の通信であり、指を動かした感覚が脳にフィードバックされる仕組みはありませんでした。
つまり、まだ「脳と脳をつなぐ双方向のリアルタイム通信」を行うことは技術的に難しかったのです。
さらに、麻痺患者自身がBCIを使う場合、自分の体にわずかに残っている筋肉や感覚が実験の邪魔をしてしまうこともあります。
麻痺していても、わずかに筋肉が反応したり、触れられた感覚が残っていたりすると、それが本当に脳刺激の結果なのか、自分の体が感じているだけなのか、判別が難しくなります。
そうした状況では、せっかく脳信号を使った刺激を行っても、効果がはっきりしなくなってしまうのです。
こうした課題をクリアするため、研究チームは大胆な発想の転換をしました。
「だったら自分自身の体ではなく、他人の体を借りればいい」と考えたのですね。
自分自身の筋肉が全く動かなくても、他の人の筋肉なら自由に動かせる。
また、自分自身の感覚が全く感じられなくても、他の人が触れた情報を脳に送り込めば、自分の脳が再び触覚を認識できる。
つまり、自分の脳の信号だけを使って「純粋に運動と感覚を再現する」ことが可能になるかもしれないわけです。
本当にそんな夢のようなことが実現できるのでしょうか?
それがまさに、今回の研究チームが挑んだ「人間アバター実験」のテーマなのです。