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いい人すぎる原因とは? / Credit:Canva
psychology

「空気を読みすぎる」「いい人すぎる」けど”孤独”なのはなぜ? (2/2)

2025.10.20 06:30:25 Monday

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「いい人すぎる」ゆえの孤独と生きづらさ、そこから抜け出す方法

fawningのパターンは、大人になってからも自然と続いてしまうことが多いです。

そのような人は、たとえば、衝突を避けるために自分の意見を言わず、他人の意見に同意したり、過剰に謝ったりする場合があります。

また、「空気を読みすぎ」たり、自分のやりたいことが分からなくなったりするかもしれません。

さらに、周囲でトラブルが起きると、自分を犠牲にしてでもその場を収めようとするかもしれません。

人々との「当たり障りのない会話」は得意でも、本音では繋がれないと感じる場合もあります。

こういった傾向があるなら、表向きには「頼れる人」「優しい人」と見られても、本人の心には「本音でつながれない」「誰にも本当の自分を見てもらえていない」という孤独感が残ります。

しかし、このような生き方は、社会や文化によって「美徳」とされやすいという落とし穴もあります。

特に「空気を読む」「周囲に合わせる」ことが重んじられる日本社会では、「いい人すぎる」ふるまいが称賛されてしまいます。

そのため、当事者は「自分だけが苦しい」「頑張っているのに報われない」「自分の人生を生きている実感がない」「誰とも本当につながれない」と感じても、周囲からは気づかれません。

そして本人もその理由に気づけないまま苦しみ続けてしまうことが少なくありません。

それでもイングリッド・クレイトン博士は、fawningの傾向はすぐには消せないものの、少しずつ自分を取り戻す練習ができるとしています。

まずは「自分がどんなときに相手に合わせすぎているか」「無理をしてしまった場面」を振り返り、自分のパターンに気づくことから始めてみてください。

たとえば、「本当はNOと言いたかったのに引き受けてしまった」「心にもない賛成をしてしまった」など、小さな違和感に気づくだけでも十分です。

次に、「今日はできません」と小さなNOを言ってみたり、自分の気持ちや希望をノートに書き出してみることも有効です。

最初は不安や罪悪感が湧いてくるかもしれませんが、それは「かつて自分を守るために身につけた反応」だったからだと知ることが大切です。

もしひとりで向き合うのがつらい場合は、カウンセリングやグループセラピーなど、安心できる場所で専門家のサポートを受けるのもおすすめです。

「いい人すぎる」生き方が苦しいと感じるのは、あなたが弱いからでも失敗したからでもありません。

これは、かつてあなたが身を守るために必死で身につけた反応なのです。

自分がfawningの傾向を持っていると気づくことが、“本当の自分”を取り戻すための最初の一歩になるでしょう。

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「空気を読みすぎる」「いい人すぎる」けど”孤独”なのはなぜ? (2/2)のコメント

ゲスト

いい人であっても悪い人であっても人は本来孤独なものなので、孤独イコール悪で必ずどうにかしなければならないものという考えを捨てたほうがQOLは上がると思いますよ。
心理学用語で言うマスタベーションというやつですね。
自慰行為の方ではなくて、こうでなくてはいけないと自分を追い込む行為のほうです。
本来そうでないといけないものなんてないんです、そうであろうとするのは自由ですがそれで幸せになれると思うのは大きなミステイクです。

    ゲスト

    古来では人は集落から外れる=死、と言っていぐらいなので人は本来孤独なものというのはおそらくは完全に違うと思います。
    比較的近代になって出てきた概念でしょうそれは。

ゲスト

空気を読もうとすることだって自分らしさのひとつであり、空気を読まずにホンネを貫くことが本当の自分かどうかなんて誰にも分からないし、答えはないのかもしれない。
いい人と思われているのなら、少なくとも空気を読むことに成功しているのであり、それを自ら評価してあげて肯定的に受けとめることもひとつの解決ではと思う。
というか、空気を読んでも的外れなことしかできない僕から見たらそれは羨ましい存在。

    ゲスト

    >いい人と思われているのなら、少なくとも空気を読むことに成功しているのであり、それを自ら評価してあげて肯定的に受けとめることもひとつの解決ではと思う。

    いいこと言うね!
    そんなに的外れじゃないと思うよ!

ゲスト

とても共感できる記事でした。
3人兄弟で、兄、自分(次男)、妹の組み合わせです。子供の頃、兄と取っ組み合いのケンカをしても、軽い仲裁と軽く兄を叱る程度でした。男の子どうしだから多少は仕方がないという思いらしく、自分が親世代になると、当時の親の気持ちが察せられます。
しかし、妹と取っ組み合いのケンカをすると母親が飛んできて厳しく叱られたものです。「女の子には優しくしなさい」と。もちろん将来女性に手を上げるよな人物になってほしくないという思いで注意したのでしょう。当然のことです。ただ、子供の頃は兄とのケンカは良くて妹とのケンカはダメは納得できないし、平等ではないことをうまく親に伝えられませんでした。その後、少し成長すると妹には優しくし接し、兄には多少何かあっても従うことに何も疑問も不満も感じず大人になりました。
自分もこの記事のように一人が大好きです。誰にも気兼ねしなくて良い。気が楽。今では年をとった親のことで兄と妹が揉めて仲裁を頼まれることがありますが、それぐらい流してうまくやればいいのに…と感じるばかりです。他の兄弟との感じ方の差がすごいと、いつも思っています。

ゲスト

「幼少期の過酷な環境によって作られたもの」と言われると、せっかくの優しさもなんか悪いことのように思えてしまうね
「育ちのせい」って言葉は罪深いと思う。長所を短所に反転させてしまうし、悪癖には免罪符を与えてしまうから

ゲスト

要は回避型ってやつだろ?

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