未来より過去のほうに多くの情報を送れた

研究チームが今回考えたのは、2010年の理想的なCTCに「不具合」を入れた状況です。
2010年の研究では光子の祖父殺しが妨げられたかのような結果が得られましたが、研究者たちは今回、この実験の状況をふまえつつ、ノイズが混じった場合に何が起きるかを、純粋な数式の上で計算してみました。
電話の例えで言うなら、相手の声が雑音まみれで途切れ途切れになる、ガラガラの回線です。
情報理論ではこういうものを「ノイズのある通信路」と呼び、そんなガラガラ回線でどれだけ情報を運べるのかを「通信容量」という数値で評価します。
20世紀半ばに天才数学者シャノンが整備した、情報理論のなかでも、もっとも基本的な道具です。
そしてここで、研究チームが計算のヒントとして頼ったのが、まさかの『インターステラー』でした。
「映画ネタを論文に持ち込むなんて、研究者の遊びの範囲では?」と思われるかもしれませんが、これがそうでもないのです。
今回の論文の参考文献には、映画『インターステラー』の科学監修を務めた物理学者キップ・ソーン(2017年にノーベル物理学賞を受賞)が書いた『The Science of Interstellar』が、れっきとした学術文献として正式に挙げられています。

さらに論文の図には上のように、未来の父と過去の娘がノイズのあるCTCを介してメッセージをやり取りする様子が、本棚を背景に描かれた図解として登場します。
映画のクライマックス(以下、軽くネタバレを含みます)において、主人公はブラックホールに単身突入(カチコミ)し、その内部から、過去にいる娘に向けて情報を送ろうとします。
手段はモールス信号。たどり着く情報は、途切れ途切れの、ひどく粗いものです。
それでも、主人公が送ったブラックホール内部からの情報は、人類を救うことにつながります。
研究チームはこの「未来の父が、過去の娘に向けて、ノイズの混じった回線で情報を送る」という構造を、ブラックホールの設定からは切り離して、純粋な情報理論の問題として取り出しました。
そして映画の父娘の通信構造を、情報理論の式に翻訳しました。
すると、驚きの結果が得られました。
ノイズが同程度なら、過去に向かって送る通信は、未来へ送る通信よりも多くの情報を運べることがわかったのです。
直感的には、過去への通信は未来への通信より難しく、効率も悪いはずです。なにしろ因果の方向に逆らっているのですから。ところが数学は、正反対の結論を示しました。

では、なぜそんなことが起きるのでしょうか?
ふつうの通信を考えてみましょう。
あなたが友人にメッセージを送るとき、友人がそれをどんな状況で読むのか――電車の中でLINEを開くのか、机の上でメールを開くのか、いつ読むのか、どれくらい集中して読むのか――を、あなたは送る時点では知りません。
受け手の実際の振る舞いは、まだ起きていない未来の出来事だからです。
だから送り手は、起こりうるパターンに対してそれなりに頑健な書き方を、いわば手探りで選ぶしかない。
これが通常の通信の限界を作っています。
(※厳密には情報理論で言う「受信側の復号(デコード)過程の実行結果」を送信側が事前に参照できない、という話。)
ところが、過去への通信では話がまるで違います。
『インターステラー』の主人公は、未来にいます。
そして主人公は、自分と娘の家にモールス信号のような奇妙なメッセージが現れた、という過去の出来事を、自分自身の記憶として持っているのです。
ということは、過去の娘がメッセージをどう受け取り、どう解読したかを、自分の記憶として知っているのです。
ならば、主人公は娘の解読方法にぴったり噛み合う形でメッセージを選ぶこと(最適な符号化)ができます。
娘がモールス信号を最初に発見したときの記憶が未来の主人公にあれば、そこにもっとも重要な情報を仕込めるわけです。
映画『インターステラー』がしっくりこない人は、往年の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い出して下さい。
今回の論文のには「さらなる含意は将来の論文[64]で議論する(Further implications of our result for final-state models will be discussed in a future work [64].)」という文言が書かれています。

そこで参考文献の64番を見るとその著者に「K. ジー、E. L. ブラウン、S. ロイド、M. マクフライ、M. M. ワイルド、1985年10月26日」という表記があります。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のファンならこの名前の並びから「E. L. ブラウン」と「M. マクフライ」をみつけるかもしれません。
E. L. ブラウンはドクことエメット・ブラウン博士、M. マクフライは主人公マーティ・マクフライです。
そして1985年10月26日は、デロリアンが過去へ飛び立ったあの日付。
しかもこの参考文献は、論文中で「将来書かれる予定の論文」として引用されており、つまり「未来の論文を現在の論文が引用する」という、引用形式そのものがタイムトラベル的なループになっている、という3段重ねの遊び心です。
(※しかも第一著者がドクでなくなっていることから鑑みるに、この世界線では「何か」が起きたのかもしれません。)
また『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のストーリーも今回の話しと決して無縁とは言い切れません。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』PART 1の主人公マーティ・マクフライも、未来から1955年に飛ばされたとき、両親についての有用な情報を「自分の記憶」として持っていました。
母の癖、父のいじめられっ子っぷり、二人が出会ったきっかけ。
だから両親をくっつけるための作戦を、行き当たりばったりではなく、知っている情報を踏まえて練ることができたわけです(現実にはマーティの行動が予期せぬハプニングを生み続けるのが映画の見どころですが)。
これも未来の情報が過去にとってどれほど協力であるかを示す一例と言えるでしょう。

未来から過去へ情報を送る時には、このように受け手側の記憶を利用できるという、未来へ向けた送信と比べ決定的に有利な部分があるのです。
MITのカイユアン・ジー氏は「父親は、娘が将来のメッセージをどう解読するかを覚えています。だから、もっとも効率よく送るための符号化の方法を、自分自身に指示できるのです」と説明しています。
未来から過去への通信は、不利どころか、いわば「カンニング可能な通信」だったのです。
しかも、この部分だけ見た「カンニング」は不正でもインチキでもありません。
未来の人間が過去を覚えているのは当然のことで、その記憶を活用して通信を最適化するのは、物理法則に一切違反しない正当な戦略です。
研究チームは、この「記憶を持つ送り手」の効果を情報理論の式で厳密に定量化しました。
結果として得られた「逆因果的通信容量(retrocausal capacity)」は、同じ通信路の通常の通信容量を上回りうることが数学的に示されたのです。
しかも証明は、情報理論の言葉でいう「シャノン的限界」を一発勝負(one-shot)の場面で正確に決めており、こうした完全な特徴付けは量子シャノン理論ではきわめて稀な成果です。
もちろん、本物の過去通信を実験室で同じようにできるわけではありません。
ブラックホール内に飛び込む志願者もいないでしょう。
また数式のベースになるCTC(閉じた時間的曲線)という状況を構築するのは、先に述べたように膨大なエネルギーが必要で今の人類には実用的に用いる手段がありません。
量子もつれで代用はしていますが、それが本物のCTCで上手くいくかは検証が難しいでしょう。
ロイド氏も「実際に物理的なCTCを作った人はいませんし、それが非常に困難であると考える理由もあります」と述べています。
では今回の研究は現実的な応用において全くの射程圏外なのでしょうか?
その点についてロイド氏は「あらゆる通信路にはノイズがあるのです」と述べています。
私たちのスマホ電波もWi-Fiも光ファイバーも、火星からビット単位で届く探査機の信号も、量子コンピューターの内部配線も、すべてノイズに悩まされる通信路です。
今回の研究は、「過去への通信」という極端な舞台設定を借りて、ある原理を浮かび上がらせました。
それは、「因果ループのような特別な構造のもとで、送り手が受け手の行動についてフィードバックや記憶を活用できる場面では、ノイズだらけの通信路でもふつうよりずっと多くの情報を運べる」という原理です。
この知見は、タイムマシンとは無関係に、現実の通信技術に転用できる可能性を秘めています。
たとえば、受け手のふるまいを送り手側があらかじめ把握できる場面であれば、ノイズに強い符号化を設計するヒントになるかもしれません。
ロイドによれば、2010年の光子CTCと同じ要領で、今回の結果も比較的簡単に実験で再現できるはずだといいます。
タイムトラベル装置を作るためではなく、現実のノイズだらけの装置をうまく使いこなすために、過去通信の数学が転用される。そんな未来が、おぼろげに見えてきます。
理論物理の世界では、「やっても意味のなさそうな思考実験」が、思いがけず実用的な発見の入り口になることがしばしばあります。
アインシュタインの相対論がGPSの精度補正に効いているのも、量子力学の不気味な性質が現代の暗号通信を支えているのも、もとはといえば「ただの思弁」から始まったものです。
現在の私たちは相対論的な高速移動や量子テレポーテーションを「人間が乗れる装置」として作れていませんが、そこから派生した理論は現在の技術の基礎を支えています。
今回の論文も、その系譜に連なる一例といえそうです。
タイムトラベルできる「人間が乗れるマシン」が現実にできるかどうかではなく、「もしできたとしたら、情報の流れはどう変わるのか?」を、真剣に計算してみる。
すると、私たちが当たり前だと思っていた通信の常識――情報は時間の前から後ろにしか流れない、未来は過去に影響しない――の足元を、そっとすくうような結論が現れてきました。
そしてこの理論も、未来の技術の基礎となる可能性を秘めていると言えるでしょう。



























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