最低賃金で働くということ、働かされるということ
最低賃金で働くということ、働かされるということ / Credit:Canva
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最低賃金で働くということ、働かされるということ (4/4)

2026.08.14 23:00:23 Friday

前ページ一時間の内側で働いているもの

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選んだ仕事、辞めれない仕事

選んだ仕事と、断れない仕事
選んだ仕事と、断れない仕事 / Credit:Canva

ここで一つ、当然の反論に答えておきたい。

その仕事は、本人が選んだのではないか。

求人に応募し、契約書に署名したのは本人ではないか——その通りである。

ただし、選んだことと、続けるしかないことは同じではない。

近くに別の求人がない、よそへ移る引っ越し費用がない、新しい技能を身につける費用がない。

この状態で示された条件は、選べる条件ではなく、飲むしかない条件である。

不満があっても、辞めるという選択肢が事実上使えない「働かされる」状態だ。

その費用の存在を知っている雇い主は、賃金を相場よりいくらか低くしても、働き手が逃げないことを知っている。

この状態を経済学は「買い手独占」と呼ぶ。

町に会社が一社しかない場合でも、求人が十件並んでいても、勤務時間、場所、資格、身体の負担がそれぞれ違えば、その人にとって本当に乗り換えられる仕事は、ほとんど残らないからである。

この見立ては、数字でも確かめられている。

経済学者のソコロワとソレンセンは、世界中で繰り返し測られてきた一つの問い——賃金が少し下がったとき、働き手は実際にどれだけ職場を去るのか——について、53の研究に散らばる1320件の測定結果をまとめて見直した(2021年)。

多くの研究が示していたのは、働き手は賃金が下がっても思うほどには去らない、という結果だった。

満足しているからではない。

今の仕事を辞めて転職する賭けのリスクやコストが少なくないからだ。

そして去られない働き手に対しては、雇い主の側に賃金を決める余地が生まれる。

もちろん、世の低賃金がすべてこれで説明できるわけではない。

ただ一つ、はっきりしたことがある。

「嫌なら辞めればいい」は、合理的な言葉ではなく理想論に近い。

辞めた次の日により良い仕事が自動で決まるような環境や、辞める費用をゼロと数えた人の「感想」である。

断っておくが、私は共産主義者ではない。

むしろ過激な資本主義者を自認している。

それにマニュアルを軽視してもいないどころか、マニュアルの信奉者である。

マニュアルは品質と安全を支え、初めて働く人の足場になる。

そんな資本主義者でマニュアル主義者だからこそ「誰にでもできる」「完璧なマニュアルがある」「いくらでも代わりがいる」「だから最低賃金でいい」という偽りの理論のピラミッドが大損を招くことを自覚しているのだ。

歪んだ理論の上に居座る歪んだ値段が経営者的に「安価」ならば、一時的には特に思えるだろう。

だがそれは一時しのぎにはなっても、勝ち続ける道具にはならない。

むしろ続ければ基礎体力を削り、無能をのさばらせ、上層部を腐らせる毒になる。

マニュアルがあれば高給な人材は要らない、という錯覚も大損を招く。

マニュアルの項目と項目のあいだをスムーズに滑り、マニュアルの最初の一行の手前と最後の一行の先まで見える人材を、見つけて手放さなかった側だけが勝つからだ。

なによりこの2つの偽装が重なったとき何が起きるかは、歴史がすでに見せている。

未経験でも問題ない、簡単な後方勤務だ、倉庫の警備だと告げられて集められ、最前線で「誰でも代われる」存在としてすり潰されていった兵士は、古今の戦争に繰り返し現れる。

そして、マニュアル通りの戦術を機械的に繰り返すのは、たいてい負けが込んでいる側である。

募集の言葉が中身を偽り、人が交換可能だと思われるとき、いちばん安く使い切られる。

時給の話と戦場の話は、規模がちがうだけで、同じ一つの言語操作の上にある。

「誰にでもできる簡単なお仕事です」

ここまで読んだあとでは、この一行は別のものに見えるはずだ。

誰にでもできる仕事はない。ただ、誰かがやらなければ今夜の街が回らない仕事が、「誰にでもできる」という偽りの文言で、法の定める下限の値段で募集されているだけだ。

そしてこの問題は最低時給で働く人々だけの話ではない。

自分の月給をひと月の労働時間で割ってみたことはあるだろうか?

そこに現れる時給を、あなたは自分で決めただろうか?

最低賃金で働く人とそうでない人を分けているのは金額の差であって、基礎原理の差ではない。

参考文献

Ehrenreich B. Nickel and Dimed: On (Not) Getting By in America. New York: Metropolitan Books; 2001.(曽田和子訳『ニッケル・アンド・ダイムド——アメリカ下流社会の現実』東洋経済新報社、2006年)

International Labour Organization. World Employment and Social Outlook 2023: The Value of Essential Work. Geneva: ILO; 2023.

England P, Budig M, Folbre N. Wages of virtue: the relative pay of care work. Soc Probl. 2002;49(4):455–473.

Leidner R. Fast Food, Fast Talk: Service Work and the Routinization of Everyday Life. Berkeley: University of California Press; 1993.

Hochschild AR. The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling. Berkeley: University of California Press; 1983.(石川准・室伏亜希訳『管理される心——感情が商品になるとき』世界思想社、2000年)

Sokolova A, Sorensen T. Monopsony in labor markets: a meta-analysis. ILR Rev. 2021;74(1):27–55.

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