古い本に残った「毛髪」から江戸庶民の食事を復元
今回、研究者たちが調べたのは、古い和本に書かれた献立や料理の記録ではありません。
注目したのは、本の表紙などに使われた再生厚紙の中に漉(す)き込まれていた毛髪です。
江戸時代には古紙を再利用して厚紙を作ることがあり、その過程で毛髪が混入することがありました。

研究グループは龍谷大学大宮図書館の所蔵品を中心に約7万冊の和本を調査し、出版された都市と時期を特定できる毛髪を約400部の本から集めました。
そのうち104部では毛髪に含まれる元素を調べ、161部では炭素や窒素の安定同位体を分析して、どのような食品を多く食べていたのかを推定しました。
毛髪が得られた本の多くは京都、大阪、東京で出版されており、年代は17世紀中ごろから19世紀末までに及びます。
分析の結果、当時の都市庶民は、米を中心とした植物性食品と海産魚に強く依存していたことが分かりました。
さらに時代が進むにつれ、米や海産物への依存が強まっていった傾向も確認されています。
これは、歴史資料から知られていた「米と魚を中心とした質素な食生活」とよく一致する結果でした。
質素なのに一部のミネラルは現代人より多かった
ところが毛髪に含まれる元素を調べると、少し意外な結果が出ました。
京都、大阪、東京のいずれでも、カルシウム、カリウム、マンガン、鉄、銅など複数の元素が、現代の都市住民の毛髪より高い濃度で検出されたのです。
チームが一因として考えているのが、当時の米の精白度です。
米は精米を進めるほど、ぬかや胚芽に含まれるさまざまな成分が失われます。
江戸時代には現代ほど白く精米されていない米も広く食べられていたと考えられ、それがミネラルの供給に関わった可能性があります。
実際、米の精白が広がった時代の流れと重なるように、毛髪中のカリウムなどは長期的に減少していました。
一方、マンガン、鉄、銅などについては、海産物の寄与が大きいとみられる毛髪ほど濃度も高くなる傾向が見られ、魚介類が供給源の一つだった可能性が示されています。

食生活の弱点も見つかった
ただし、これだけで「江戸時代の庶民は現代人より健康だった」とは言えません。
毛髪からは鉛と塩素も現代人より高い濃度で検出されました。
鉛については当時使われていた白粉、塩素については冷蔵庫のない時代に多用された塩蔵食品などが関係していた可能性があります。
さらに亜鉛は現代人より低く、研究者たちは、現代では亜鉛源となる牛肉や豚肉が明治以前には広く食べられていなかった歴史との一致を指摘しています。
また、毛髪中の元素が多かった理由をすべて食事だけで説明できるわけでもありません。
鉄鍋や釜、鉄瓶などの調理器具から溶け出した元素を取り込んだ可能性もあり、今回の研究だけで原因を一つに絞ることはできません。
それでも今回の結果からは、江戸から明治にかけての都市庶民が、決して豊富な食材を口にしていたわけではない一方、精白度の低い米や海産物によって、現代とは異なる栄養環境に暮らしていた姿が見えてきます。
古い和本に偶然残された1本の毛髪は、献立表には残らない庶民の食生活を記録していました。
昔の食事を「粗食だから健康」「昔だから不健康」と単純に評価するのではなく、何を多く取り、何が不足し、どんな物質にさらされていたのかを見ることで、当時の生活がより立体的に浮かび上がります。
文字を読むための古書が、数百年後には人々の食生活を読み解く「タイムカプセル」になるというのも、この研究の大きな面白さです。






















海産魚を食べていたら質素という論理がよくわかりません。なんなら海産物の方が多種多様で内蔵まで食べられ、偏りの少ない贅沢な食事とも言えます。
非常に興味深い記事でした。ただ、私含めあまり栄養学の知識がない読者には、江戸時代と現代の栄養状態が違うことで、健康面や精神面にどのような差があったと考えられるかまで考察していただけると、さらに面白かったかなと思います。