網目の記憶は、取り出せるエネルギーを増やした
ただし、ここにはひとつ落とし穴があります。
2回測った粒の集団と、2回目と同じ結果を1回だけ測って得た粒の集団は、測り終えた時点で、すでに位置の散らばり方が違っています。
これでは、その後の違いが記憶によるものなのか、出発点の違いによるものなのか区別できません。
そこでチームは、1回だけ測った粒の中から、出発時の位置の散らばりがそっくりになるように粒を選び出しました。
こうして作ったのが、出発点は同じでも過去を知らない「対照の集団」です。
記憶のない液体なら、この対照の集団と2回測った集団は、まったく同じように動くはずです。
両者に違いが出れば、それは網目に蓄えられていた情報が粒へ戻ってきた分(情報の逆流)だと言えます。
チームはこの違いを1つの指標にまとめ、記憶がなければほぼゼロ、記憶が効いていればゼロから離れるようにしました。
そして、2回の測定の間隔を変えながら、この指標を調べていきました。
結果の組み合わせごとに指標の変わり方は大きく違ったものの、1つを除くすべてで、効果がもっとも大きく現れたのは間隔が約1秒のときでした。
この約1秒は、網目の記憶が薄れる速さと、粒がくぼみの中で落ち着く速さの兼ね合いで決まっていました。
コンピューターによる計算でも、この振る舞いはよく再現されました。
さらに、指標がゼロから離れる場面は、網目から粒へエネルギーが一時的に戻ってくる場面と重なっていました。
「情報が戻ること」と「エネルギーが戻ること」は、直接つながっていたのです。
そして、この記憶をうまく使うと、粒から取り出せる仕事(使えるエネルギー)が増えることが確かめられました。
左か右かを2回見分けるだけの簡単な仕組みでも、記憶を取り出して仕事に変えるには足りたのです。

取り出せた仕事も、結果の組み合わせごとに、指標とよく似た形で変わっていました。
そのためチームは、この指標が、隠れた記憶から仕事を引き出す効率を前もって示す目安になると見ています。
さらに条件によっては、取り出せた仕事が、目に見える粒の動きだけに蓄えられたエネルギーを上回りました。
粒だけを見ていては説明のつかない分が、見えない網目の側から引き出されたと考えられます。
もっとも、今回確かめたのは、光で閉じ込めた粒と、決まった組成の1つの液体という組み合わせです。
高分子の溶液や体液など、ほかの複雑な液体でも同じように役立つかは、この実験ではまだ確かめられていません。
それでも、小さな機械の効率を下げる原因とされてきた「隠れた情報」が、実験で扱える資源になることが示されました。
チームは、時間のつながりを持つ環境で働く情報エンジンの性能を、こうした記憶で高める道筋が見えてきたとしています。
網目がまだ粒の動きを覚えているうちに、ちょうどよい間隔(この実験では約1秒)をあけて2回目を測れば、悪魔は見えない網目からも力を借りられるのです。
ここからは、マクスウェルの悪魔をもっと知りたい人へ
マクスウェルの悪魔とは、熱の基本法則にすき間がないかを試すために考えられた、空想の中の小さな門番です
マクスウェルの悪魔は、19世紀の物理学者マクスウェルが考え出した、空想の中だけにいる小さな存在です。

この悪魔が初めて書かれたのは、1867年にマクスウェルがテイトへ送った手紙だろうとされています。
その手紙でマクスウェルは、すべての分子の通り道と速さをひと目で見抜けるのに、仕切りの穴を開け閉めすることしかできない「有限の存在」(何でもできるわけではない存在)を思い描くように書いています。

その考えはのちに、マクスウェルの本『熱の理論』で紹介されました。

ところが、この存在を「悪魔」と呼んだのは本人ではなく、ウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)で、1874年に「知的な悪魔」と書いています。

マクスウェルも、日付の分からない手紙に「この名前を付けたのは誰か? トムソン」と書き、悪魔を「とても小さいが元気な存在」とまとめています。
マクスウェルがこの悪魔を持ち出したのは、熱力学の第二法則(熱の基本法則の1つ)が、たくさんの分子が関わる統計の法則だと示すためで、テイトにはこの法則に「穴をあけたい」と伝えていました。
もし悪魔が本当に働けば、第二法則が否定したはずの「第二種永久機関」(熱をそっくり仕事に変える装置)になり、大気や海から仕事をいくらでも取り出せてしまいます。
この難問がきちんと解かれるまでには115年がかかり、カギになったのは、1961年にランダウアーが示した「情報を消すと、必ずまわりに熱が出る」という決まりでした。




