パルテノン神殿の「錯覚にかんする設計」は多くが神話だった
パルテノン神殿の「錯覚にかんする設計」は多くが神話だった / Credit:Canva
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パルテノン神殿の「錯覚にかんする設計」は多くが神話だった (3/3)

2026.10.23 20:30:34 Friday

前ページまっすぐな床は垂れて見えず、曲げた床はむしろ曲がって見える

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神殿の反りは雨水を流すためだったかもしれない

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Credit:川勝康弘

わずかな反りに、果たせる役目はあったのか?

ゴリエリ氏が有力な候補として挙げるのは、雨水です。

神殿の床は水をほとんど吸い込まない大理石でできているため、雨がかかれば、水は表面を流れて出ていくしかありません。

完全に平らな床なら、雨水は流れる先がなく、水たまりになって残ります。

19世紀にペンローズはこの排水説を退けましたが、ゴリエリ氏が床の形から傾きを求めると、平均で約0.2度ありました。

この傾きがあれば、厚さ1ミリの水の膜は秒速約1センチで外へ流れ、いちばん遠いところからでも30メートルの道のりを40分あまりで縁まで届く計算です。

見た目には何の働きもしない反りも、水を外へ流す働きはたしかに持っているのです。

ただしゴリエリ氏自身は、排水のために曲げたのかどうかまではわからない、としています。

柱の膨らみについてゴリエリ氏は、職人たちがまっすぐな柱より美しいと感じたから、というもっと単純な説明を挙げています。

錯視補正という証拠のない説明がこれほど長く生き延びた背景には、「古代ギリシャ人は何でも知っていた」という思い込みがある、とゴリエリ氏は見ています。

パルテノン神殿が建てられた頃のギリシャには、力を計算する理論はありませんでした。

神殿の反りの形は放物線などの曲線で説明されることが多いのですが、こうした曲線が数学として研究され始めたのは、神殿の完成からおよそ1世紀後のことでした。

目のしくみについても、当時の哲学者たちは、目から火のようなものが出ているのかを議論している段階で、錯視がなぜ起きるのかを理解する土台はまだありませんでした。

論文はさらに、神殿の反りや膨らみの多くは、理論からではなく、建物を建てながら受け継がれてきた職人の経験則から生まれた可能性を挙げています。

しばしば奴隷の身分にあった彼らが力を合わせて生み出したもので、エリート建築家が数学で設計したものではない、というのです。

今回の研究でまだ検証されていない錯覚

ゴリエリ氏が検証したのは、まっすぐに見せる、太さや間隔をそろえて見せる、高い位置の像を大きく見せる、という補正でした。けれどもパルテノン神殿には、ほかにも「見る人の目のため」と語られてきた工夫があります。その一つが、柱に刻まれた縦の溝です。木の柱の時代の名残とされる溝を、石の柱になっても刻み続けたのは、柱を高く細く見せるためだったという解説があります。もう一つは、列柱の内側で部屋の壁の上部を一周していた帯状の浮き彫り(フリーズ)です。この浮き彫りは、下の端より上の端のほうがわずかに深く彫られていることが、19世紀から知られています。屋根の下の薄暗い場所を、地上から急な角度で見上げる位置にあったため、見やすくするための工夫だと説明されてきました。これらの工夫は、まだ錯視補正説と同じ厳しい検証にかけられていないのです。

もっとも、今回の研究は、実際の神殿の前に人を立たせて、床や柱の見え方を確かめたものではありません。

ゴリエリ氏は、反りまで再現した米国テネシー州ナッシュビルの実物大の複製で、人に見え方を確かめてもらう実験を行うことを提案しています。

それでも、錯視補正説の側から、目に実際にそう見えることを示す証拠が2000年以上一度も出てこなかったことに変わりはありません。

ゴリエリ氏は論文の結びで、論文を置いて街を歩き、まっすぐな梁や柱を持つ建物を自分の目で確かめてみるよう読者に勧めています。

そこで真ん中が垂れて見える建物に出会うことは、まずないでしょう。

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Credit:Canva

専門家向けの補足

パルテノン神殿の曲線をめぐる議論では、三つの問いを分ける必要があります。どんな形に造られているのか。その形によって、見え方がどう変わるのか。そして建設者は、その変化を狙っていたのか。曲線を精密に測れたとしても、残る二つの問いに答えたことにはなりません。

アラン・ゴリエリ氏の論文は、この問いのつながりを、歴史資料、既存の計測・視覚研究、幾何学や力学の計算から検討したものです。著者は、提唱されてきた錯視補正の説明には裏付けがないか、通常の観察条件では知覚できるほどの効果がないと論じています。

例えば、放射状の線を背景に置くと直線が曲がって見える「ヘリング錯視」は、線が交わる角度によって強さが変わります。神殿の柱と床はほぼ直角に交わるため、図版で示された錯視を、そのまま建物の見え方に当てはめることはできません。「似た錯視がある」だけでは足りず、実際の角度や観察位置で、曲線による補正を必要とするほどの錯視が生じるかを問う必要があるのです。

ただし、今回、実際の神殿を人に見せて、床や柱の見え方を測る新たな実験は行っていません。あらゆる条件で錯視が生じないと、実験で確定したわけではないのです。著者自身も実物大の複製を使った検証を提案しています。従来の説明の弱点を示すことと、考えられる効果をすべて否定することは区別する必要があります。

代案の排水説についても、効果と目的を分けて読む必要があります。論文は、水の膜の厚さなどを仮定した計算から、床の弱い傾斜でも水を外へ運ぶ働きがあると示しています。しかし、水の膜が薄くなるほど流れは遅くなり、実際に水たまりを防げるかは雨量や表面の状態などによって変わります。当時の屋根がどこを覆い、床のどこに雨が入ったかも検討が必要です。また、排水だけでは、柱の上に載る梁にも同じような反りがある理由を説明できません。

そして、仮に排水や見え方への効果を確認できたとしても、それだけで建設者の意図までは確定しません。錯視補正説のよりどころとされるウィトルウィウスの記述は、神殿の完成から約400年後のもので、設計者自身の説明ではありません。職人の経験や美的判断から曲線が生まれたという説明も、現時点では候補にとどまります。

この研究を、曲線の目的が錯視補正から排水へと置き換わった話として読むのは早計です。むしろ、形の実在、実際の効果、造った目的という三つの段階で、それぞれどんな証拠が必要なのかを問い直す研究と読めます。神殿が精巧に造られていることは、その理由として後世に語られた説明の正しさまで保証するわけではないのです。

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