哲学の決着 ベルの定理
ここまでの議論は、現代にも語り継がれて使われている重要なものなのですが、当時は決着があいまいなまま放置されてしまいました。
その理由、これらの議論が実験ではどちらが正しいか証明できない、ただの哲学のお話だったからです。
さらに決定的だったのは、現代コンピューターの父と呼ばれるフォン・ノイマンが、アインシュタインが主張する隠れた変数で量子力学に書き換えることは不可能だという数学的な証明をしてしまったことです。
ノイマン自身はこれが条件付きの証明であることを警告していたのですが、ほとんどの物理学者たちは、もうこの問題に付き合ってもキャリアを台無しにするだけだと考え、量子論を使って業績を上げることに必死になりました。
しかし、それでもこの問題に踏み込む研究者がいました。それがアメリカ生まれの物理学者デーヴィッド・ボームです。
ボームはアメリカ共産党に在籍していた履歴があり、そのために当時アメリカで吹き荒れていた赤狩りのターゲットにされて、プリンストン大学准教授の職を失ってしまいます。
もう失うものが無いボームは、多くの研究者が畏れて関わらなくなった量子論の解釈に噛み付きました。
ボームの行った大きな功績の1つが、過去に発表されたEPR思考実験の簡単なバージョンを作ったことです。
オリジナルの論文では量子もつれという2粒子の検証に、位置と運動量という2つのパラメータを使っていました。ボームはこれを量子スピンという1つのパラメータで検証できるよう作り変えたのです。
ボーム版EPR実験では、スピン0の粒子が崩壊してAとBというもつれ状態の2つの電子(あるいは光子)を作ります。この2つの電子は、それぞれ「上向き」と「下向き」の反対のスピンを持っていて、2つの電子のスピンを合計すると最初の粒子が持っていた「0」にならなければなりません。
しかし、コペンハーゲン解釈ではAとBのスピンは上下が重なり合った状態になっていて、どちらかのスピンを測定するまでそれぞれのスピンは確定されません。Aが上向きと測定されればその瞬間、Bは下向きスピンと決定されるのです。
現代でEPR実験を説明する場合は、オリジナルではなくこのボーム版が使われます。それくらい重要な修正を行ったのがボームなのです。
そして彼は、コペンハーゲン解釈の代替案となる隠れた変数理論として先導波(パイロット波)理論を発表します。
先導波理論とは、粒子と波動の関係を、波に乗ったサーファーのように解釈したものです。この波乗りする粒子は、波動方程式に従って移動しますが、任意の時刻にはっきりとした位置と運動量を持ち、そこから導かれる明確な軌跡を持っています。
しかし、観測者は不確定性原理によってその軌跡を測定することはできないのです。
先導波理論自体は1927年にド・ブロイが発表したアイデアですが、猛反発にあってこの考えを諦めていました。ボームはこれを洗練させてコペンハーゲン解釈に変わる理論に発展させたのです。
ボームは先導波理論によって、隠れた変数を導入しても現在の量子力学と同じ予想ができることを示したのです。
この論文を読んで衝撃を受けたのが、CERNの研究者ジョン・スチュアート・ベルです。
コペンハーゲン解釈の代替案があるじゃないか、と知ったベルは、なんとノイマンの証明が正しくないことを明らかにします。
そして、ベルはアインシュタインとボーアが長い間議論を続けても解決できなかった2つの哲学的解釈について、どちらが正しいかを決定する数学的定理を発見するのです。
アインシュタインの主張は、量子は測定で決定しているのではなく初めから決まった値を持つはずだ、というものでした
アインシュタインが特にこだわっていたのが「局所性」という問題で、ある出来事の結果が光の速度より速く、他の場所に伝わって影響を与えることはない、ということでした。
もし2粒子を数光年離れた状態で測定したとき、Aの電子の測定結果によって、Bの電子の測定結果が決まるとなると、それは局所性が破れていることになります。
アインシュタインの理屈からすれば、Aを見たらBがわかるという2粒子の測定は、Aという箱とBという箱にそれぞれわからないように赤と青のボールを入れて、離れた場所で箱を開いたときAの中身が青だったら、Bの中は赤のボールだと即座にわかる、というのと同じことでした。
しかし、ボーアの解釈ではAを開くまでボールの色はこの世界で決定されておらず、開いて観測した瞬間に青に確定すると言っていたのです。そしてその結果は数光年離れたBの箱に即座に伝達され、Bの箱の中が赤いボールに決定されると言うのです。
アインシュタインが気味悪がったのも当然でしょう。
しかし、この2人の主張のどちらが正しいのか、判定する方法はあるのでしょうか?
ベルは、これを判定するためにボーム版EPR実験を使って検証を行いました
もつれ状態の電子スピンは、それぞれX軸(左右)、Y軸(上下)、Z軸(前後)という直行する三次元軸ごとに他と関係なく測定できます。
もしX軸について測定して、Aが上向きなら100%の確率でBは下向きという測定結果が出てきます。この測定だと、Aのスピンを測定してBのスピンが決定されたのか、もともと決まっていたのか判断できません。これは赤青ボールの問題と同じ状態です。
しかし、ベルは角度を変えてスピンを測定した場合、100%の相関で両者のスピンを測定出来ないことに気づきます。
量子スピンは以前の章でも紹介した通り、古典物理学には対応するもののない純粋な量子的性質を表しています。角度を付けてスピンを測定した場合、確実な結果が得られず、2粒子を同時に測定したときどっちも上向きというような結果出てきてしまうのです。
そして、このとき予想される相関のばらつき範囲は、粒子が初めから決まった値を持っている場合と、測定で初めて値が決定されその情報がもつれた粒子にも伝わるという場合で、それぞれ異なることを発見したのです。これをベルの不等式と呼びます。
これは長く続いた哲学論争を、実験で検証できるようにした画期的なものでした。
理論物理学者だったベルは、アインシュタインとボーアのどっちが正しいか検証できる実験を思いついたから試してみてよ、と実験物理学者たちに呼びかけました。
この実験は当初ベルが考えていたほど簡単なものではなく、その後様々な研究者たちが検証を繰り返すことになります。
しかし、最終的に1980年代にアラン・アスペによって、局所性というものを維持した理論では、説明できない結果が得られたのです。
アインシュタインの言った不気味な相互作用は、現在では量子テレポーテーションという呼び名で知られていて、量子コンピュータや量子ネットワークの設計でも重要な概念になっています。
こうして、量子力学の解釈を巡る長い論争に決着がつきました。このときにはもう、アインシュタインもボーアも亡くなっていました。
彼らは自分たちの考えにどういう軍配が下ったか、知ることはなかったのです。
こうした結果があるからこそ、もともとはコペンハーゲン解釈を否定するために作られた、シュレーディンガーの猫やEPRパラドックスという理論は、現代においてはコペンハーゲン解釈の不可解な世界観を説明するための例え話にされているのです。
ベルの定理は、まさにアインシュタインの弔いの鐘になったのでした。