マジックナンバー7
「planet」を日本語では「惑星」と訳しますが、その理由は「プラネット」の語源がギリシャ語で「さまよう者」を意味する「πλανήτης(プラネテス)」から来ているためです。
太陽系内の惑星は、地球との距離近いため、宇宙のはるか彼方で輝く天体とは異なり、地球の自転に沿ったきれいな円形で夜空を回りません。
特に昔の人達は地球を中心とする天動説で宇宙を考えていたので、惑星は空を自由に動き回る特別な星に見えたのです。
天動説と地動説の星の動きを比較すると、惑星が特別な星に思えたのも理解できます。
そのためバビロニア人たちは、惑星の数と同じ7日間で週を区切り、1カ月を4つの週に分割しました。これだと1カ月は28日になり、月の満ち欠けとはズレていきますが、それでも彼らはこれを採用しました。
バビロニアは紀元前6世紀から7世紀頃まで中東で支配的な文化で、1時間が60分などの時間の概念も生み出しています。
これはバビロニア人の捕虜になっていたユダヤ人たちにも伝わり、またペルシャ帝国やギリシャ人など周辺の文化にも拡散していきました。
エジプト人は、この惑星の数と調和する7日間の週という文化に魅力を感じて、エジプトも週7日間制を取り入れていきます。
その後、アレキサンダー大王がギリシャから中東全体を支配し、その文化をさらに東のインドにまで広めました。このとき1週間が7日間という考えもアジア地域まで広まったと考えられています。
中国に1週間が7日間と伝えたのはインドの功績と考えられています。西遊記に登場する天竺がインドであるように、仏教文化と共に1週間を定める文化的影響も中国に伝わったのでしょう。
そして、最後にローマ人がアレキサンダー大王の支配していた領土を征服することで、ローマ帝国にも1週間は7日間という文化が取り込まれていきます。
帝国に週を7日間に定め、日曜日は祝日と定めたのは紀元前321年のコンスタンティヌス帝でした。
こうして、世界中に広く1週間は7日間という概念が広まったのです。
ただ、7日間というくくりは1年間の長さとはうまく調和していないので、あちこちでズレや矛盾が生じています。しかし、それでも人類はずっとこの周期を長く使い続けています。