遺体の浄化に使われた可能性も
一方で、専門家の間では「葬儀用の骨壺として使われたのでは」とする意見が大半を占めています。
というのも、石壺の周辺に人骨や埋葬品、陶器などがたびたび発見されているからです。
また、遺体を火葬する前に石壺の中に放置して、軟組織などを分解・乾燥させたという「浄化説」も支持されています。
ラオスでは、遺体を一時的に窪みの中に放置して、肉体を分解させる習慣があったため、説得力のある説です。
火葬後、骨は再び壺の中に戻すか、別の神聖な場所に移され、石壺はまた別の遺体の浄化のために使われたと考えられています。
近年の研究では、石壺の周囲に18人分の人骨が見つかっており、その6割以上が幼児や胎児でした。このことから当時のラオス社会では、生まれた子どもの半数が栄養失調などで生き残れなかったと思われます。
それを踏まえると、石壺が遺体の浄化や納骨場として使用された可能性は高いでしょう。
研究者によるジャール平原の調査は現在も続いていますが、別の大きな問題があります。
ジャール平原には不幸なことに、戦時中に埋められた地雷や不発弾、その他の爆発物が数千トンも存在するのです。
それらが土壌を汚染したり、近隣に暮らす20万以上の地元民を脅かしています。
ジャール平原は、貴重な考古学的資料を数多く残していながら、調査には命の危険がともなう場所でもあるのです。
宇宙、素粒子、AI、遺伝子、歴史、心理学など、様々な角度から身近な「謎」を追求しています。
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