「紫色」は、地位と権力の象徴として、数百年もの間、古代の王族と結びついてきました。例えば、英語の「born in the purple」は、「王家に生まれる」という意味になります。
その王族の衣服を染めるのに使われたのが、天然の貝から取れる「貝紫色(ロイヤルパープル、Royal purple)」でした。しかし、染料の製法は門外不出で後世に伝わらず、何世紀も前に失われています。
ところが、北アフリカ・チュニジア在住のモハメド・ガッセン・ヌイラさんが、失われた秘伝の製法を復活させることに成功しました。
ヌイラさんは、コンサルティング会社を経営する一般男性で、染料に関する知識もなく、一から試行錯誤を重ねたといいます。
王族が愛した貝紫色は、一体どのようにして作られたのでしょうか。
3000年以上前のフェニキア秘伝の製法
貝紫色の歴史は、紀元前1600年頃の地中海東岸に遡ります。その製法を編み出したのはフェニキア人であり、彼らの住むティルス(現在のレバノン南西部)で作られたことから、別名「ティリアン・パープル」とも呼ばれます。
アッキガイ科のホネガイやシリアツブリガイが原料とされますが、その製法は門外不出。フェニキア人は、貝紫色の染料を高価な商品として輸出し、経済的な繁栄を誇りました。
その後、フェニキア人は植民地のカルタゴ(現在のチュニジア)に秘伝の製法をもたらしましたが、カルタゴは、紀元前120年頃にローマの植民地となり、今度はローマ人が貝紫色を独占します。
ローマ帝国時代に貝紫色は王族のシンボルとなり、一般人が紫の衣服をつけることは禁止されました。また、その製法は記録文書にも残っておらず、数百年ののち歴史の闇に消え去ります。
これについて、ヌイラさんは「おそらく職人たちは、貝紫色が皇帝の存在と直接結びついていたので、ノウハウを明かすことを恐れたのではないか」と話します。