事件発生〜遺体が発見されるまで
事件の発生場所は、現ロシア中央部・スヴェルドロフスク州内のホラート・シャフイル山です。
一行は、男性7名、女性2名の9名からなり、多くがウラル科学技術学校の学生および卒業生でした。
事件現場は、リーダーであったイーゴリ・ディアトロフの名前から、ディアトロフ峠と呼ばれています。
彼らはスキーでのトレッキングを計画しており、最終目的地は事件現場から10キロ北にあるオトルテン山に設定されていました。
一行が雪山に入ったのは、2月1日。
季節的に踏破困難とされましたが、全員に高いスキー技術と山岳遠征の経験があり、計画に反対するものはいなかったようです。
しかし、彼らが再び帰ってくることはありませんでした。
2月26日、捜索隊がホラート・シャフイル山の東斜面で、内側から破られ、置き捨てられたテントを発見しました。
その後、周辺域から5名の遺体が見つかり、全員の死因が低体温症と断定されています。
残り4名は捜索開始から2ヶ月後、少し離れた森の中で、雪下4メートルの場所に埋まっていました。
4名の遺体は様子が違っており、2名は頭蓋骨骨折、2名は肋骨骨折、目と舌の欠損など、明確な致命傷が見られています。
しかし、外部には争った形跡などがまったくありませんでした。
他にも不可解な点は尽きず、当時のソ連当局は「抗いがたい自然の力によって9名は死亡した」と発表しています。
事件の真相は一体…?