小児医療の価値観を変革したニセ医者
彼の奇抜な活動により、アメリカの小児医療界に「保育器」の存在が大きく知れ渡るようになりました。
そしてついに、クーニーが願っていたように、病院側は生まれてきた未熟児を放置せず、延命措置を取るようになったのです。
1940年代初め、クーニーは保育器の展示会活動を終了しています。
この偉大な功績にもかかわらず、当時の医師たちは彼を「単なるショーマンだ」とし、プロの医療従事者とみなすことはありませんでした。
その後、マーティンは表舞台から姿を消し、1950年代に80歳で亡くなっています。そのとき、彼の懐にはわずかの財産も残されていなかったそうです。
結局、マーティンは展示を行なった十数年の間に、6500人を越える未熟児たちを病院から預かり入れました。
死に際し、手元に遺産は残らなかったものの、彼は6500以上の尊い命をあとに残し、この世を去っていったのです。
この記事は、2019年10月18日掲載の記事を再編集したものです。
史上最高のニセ医者