成人後に身長が1メートルも伸びる
アダムは1899年、オーストリア=ハンガリー帝国時代の都市グラーツで誕生しました。
両親の身長は父が175センチ、母が165センチと、骨格の大きな西欧人からすれば、そう大きくはありません。
アダムは幼少期から病弱で、身体も細く小さかったといいます。
彼の身長は伸びることなく、18歳の時点で138センチでした。
それでも志は高く、軍への入隊を志願しましたが、身長を理由に拒否されています。
1年後にも徴兵検査を受けましたが、また同じ理由で入隊は敵いませんでした。この時点でアダムの身長は143センチだったそうです。
医学的には、成人に達した際、身長が147センチに満たない場合に「小人症」と見なされます。
アダムはこの数字に達しないまま、20歳の誕生日を迎えました。
ところが、アダムは普通の小人症とは違っていました。
彼は身長の低さとは裏腹に、とても大きな手と足を持っていたのです。
記録では18歳の時に、手の長さが23.9センチ、足のサイズは28センチあったとのこと。
そして急激な変化が1920年、アダムが21歳のときに訪れます。
それまでの鬱憤を晴らすかのごとく身長が伸び続け、32歳のときにはついに218センチに到達したのです。
この前例のない出来事に驚いた医師たちが検査をしたところ、アダムは「先端巨大症(acromegaly)」を患っていました。
先端巨大症は、脳の下垂体が腫瘍化し、成長ホルモンが過剰に分泌されることで起こる疾患です。
手足が異常に大きかったのもこれが原因でした。
その一方で、この急激な変化がアダムの健康状態を著しく悪化させ始めます。
身長の伸びにつれて脊柱が湾曲し、視力が低下し続け、1920年代の終わりには右目がほぼ見えない状態になりました。
それと同時に左耳の聴覚も悪化し、食物の摂取も難しくなって、歩行が困難になり、ついには寝たきりの状態に。
腫瘍の除去手術を受けたものの、アダムの身長は伸び続け、反対に体調は悪化の一途をたどりました。
そして1950年3月4日に、アダムは51歳の若さで亡くなっています。
死亡時の身長は、通常時で233.7センチ、補正時で238.8センチだったと記録されています。