江戸と現代では「口内細菌」の組成が違っていた
歯垢(しこう、プラーク)の石灰化で生じる歯石には、食物や細菌のDNAが含まれています。
近年の研究では、歯石から抽出されたDNAのゲノム解析により、古代人の食生活や細菌叢(さいきんそう)の情報が入手可能になってきました。
しかし、その研究報告は欧米圏のものばかりであり、日本の古代人の歯石を対象とした調査はほとんどありません。
また、日本は海に囲まれた島国である上に、江戸時代(1603-1867)には、鎖国状態で諸外国との接触がほとんどなかったことで知られます。
そうした社会の中で独自の食文化が発展したゆえに、当時の口内細菌叢は現代人と大きく異なる可能性あり、非常に興味深い問題です。
そこで研究チームは、深川(現東京)から発掘された江戸時代後期の町人、12名の古人骨を対象に調査を開始。
マイクロコンピュータ断層撮影法を用いて歯を調べたところ、約4割に歯周病が原因でできる骨吸収が確認されました。
さらに、歯に付着していた歯石から細菌を抽出し、そのDNAを解析して、現代人の歯垢における細菌叢と比較。
その結果、江戸時代と現代人では、11系統の細菌門が共通する一方で、フソバクテリウム門、SR1 門、グラシバクテリア門は、現代人の歯垢でしか検出されませんでした。
また興味深いことに、歯周炎の代表的な病原菌であるレッドコンプレックス細菌は、現代人に多く見つかる一方で、江戸時代人の歯石には存在しなかったのです。
それから、江戸時代と現代とでは、細菌種間のネットワークが大きく違っていました。
江戸時代の歯周病では、ユーバクテリウム属、モリクテス綱などが細菌ネットワークの重要な位置を占めています。
口内の細菌組成は、食事や生活習慣によって変化します。
本研究の成果から、江戸時代は、約200年にわたる鎖国状態により、諸外国からの細菌伝播が極端に少なかったことから、現代人と異なるユニークな口内細菌叢を持っていたことが示唆されました。
この新たな知見は、歯周病の成り立ちや原因、社会状況が口内細菌にもたらす影響について理解を深める手助けとなるでしょう。
ちなみに、江戸時代にも歯医者はいました。
当時は、入れ歯作りを本業にしていた「入れ歯師」がおり、町人の”う蝕(虫歯)”や”歯くさ(歯周病)”の治療を行なっていました。
また、入れ歯師が売っていた歯痛止めの薬には、コショウやミョウバン、乳香などがあり、これらは現代の医学的知識から見ても十分な薬効があるようです。
それから、江戸の初期にはすでに楊枝や歯磨き粉を用いる習慣がありましたし、商売人の香具師(こうぐし)が、町中で居合抜きやコマ回しで客寄せし、歯痛止め薬や歯みがき粉を売っていました。
ただ、歯医者による治療のほとんどは抜歯だったようで、現代よりずっと荒療治だったことは間違いないでしょう。
医療の進歩には感謝したいですね…