手出しできない王子の代わりに、体罰を受ける代理人
中・近世ヨーロッパにおいて、王族は「触れることのできない神聖な存在」と見なされ、神によって守られていると考えられていました。
そのため、王やその跡継ぎである王子に手を出すことは重罪であり、ときには死刑になることすらあったのです。
側近が王に手を出すというのはほぼありえませんが、幼い王子には教育的指導をしなければならない場面が必ずあります。
悪さをしても叱らず、甘やかすばかりでは、将来、一国を背負って立つ立派な王にはなれません。
ではそんなとき、手出しできない王子に対して、どのように叱責したのでしょうか?
歴史上、跡継ぎの王子には専属の家庭教師がつき、王に必要な学問を広く教えていました。
王子といえど子供ですから、悪さもしますし、間違いや違反もたびたび犯したことでしょう。
しかし家庭教師の方が位が低いため、叱りたくても、王子には手出しできなかったのです。
そこで用意されたのが「鞭打ち少年(whipping boy)」でした。
鞭打ち少年とは、いわば”体罰の代理人”であり、王子の側で一緒に高度な教育を受けながら、王子が過ちを犯したときには、代わりに鞭打ちなどの体罰を受ける存在を指します。
現代の感覚からすれば、あまりに無茶な話ですが、そこには手出しできない王子を反省させるためのれっきとした狙いがあったようです。
王子からすれば、鞭打ち少年は一緒に長い時間を過ごす、数少ない友人の一人でした。
そんな友人が自分のミスのせいで鞭打ちを受けるのですから、心を痛めないはずがありません。
この風習の発案者は、友情の心理作用を利用して、王子に反省を促そうとしたのです。
では、その効果はいかほどだったのか、歴史的記録を見てみましょう。