「アメンホテプ1世」はどんなファラオだったのか
アメンホテプ1世は、少年期に第18王朝の初代ファラオであった父イアフメス1世を亡くしたことで、王座につきました。
まだ幼かったため、母である王妃イアフメス=ネフェルタリが摂政としてサポートしたと言われています。
一方で、この時代のエジプトは一種の黄金時代であり、紛争もなく、安全で富み栄えていました。
そこでアメンホテプ1世は、宗教的な建造物を大量に発注。その一つとして、エジプト南部の都市テーベ(現ルクソール)に、アメン神を祀るカルナック神殿が建設されています。
この神殿は、彼の死後も、次代の王たちによって増改築を繰り返され、どんどん壮麗豪華になっていきました。
彼のミイラは、1881年に、フランスの古代エジプト学者ガストン・マスペロ(Gaston Maspero)率いる発掘チームにより、テーベ西岸にある墓で、他の数体のミイラとともに発見されました。
彼の棺はかつて墓荒らしにあったことで、第21王朝時代(紀元前1070〜945年頃)に場所を移されたと記録されており、本来の埋葬地は分かっていません。
今回の研究は、こうした経緯を持つアメンホテプ1世のミイラの初調査となります。
年齢や身長が判明!
CTスキャンによる分析の結果、死亡時の年齢は35歳頃で、身長は169センチと判明しました。
また、割礼を受けており、歯並びが非常に綺麗だったことが明らかになっています。
身体的特徴は父王のイアフメス1世に似ており、狭いあご、小さな細い鼻、巻き毛、軽く突き出た上の歯を持っていました。
研究主任の一人で、カイロ大学(Cairo University・エジプト)の放射線学教授であるサハル・サリーム(Sahar Saleem)氏は「覆いの下には30個のお守りと、金のビーズで装飾された黄金のガードル(帯)があった」と述べています。
元エジプト古物相で同チームのザヒ・ハワス(Zahi Hawass)氏は、このガードルについて、「一種のまじないの意味合いがあり、ファラオを死後の世界で助ける機能を持っていたと考えられる」と説明しています。
さらに、チームは、アメンホテプ1世のミイラが盗掘者によって傷つけられた痕跡も発見しました。
CT画像によると、首の骨折と切断、前腹壁の大きな欠損、右手と右足を含む四肢の切断をともなう損傷が見られたとのこと。
しかし、切り離された手足は元の場所に戻され、切断部が樹脂で固定されており、新たな包帯で巻き直されていました。
これは、後代の神官たちがミイラを修復した証拠です。
サリーム氏は、最後にこう述べています。
「残念ながら、ファラオの死因を特定できる傷跡や病痕は見つかりませんでした。
それでも、彼の遺体は、第21王朝の神官たちにより愛情を持って修復され、元の精巧な状態を取り戻したことが分かります。
アメンホテプ1世のミイラが、現代において一度も解かれたことがないという事実は、私たちに、彼が元々どのようにミイラ化されたかだけでなく、後代の神官によりどのように再埋葬されたかを含め、2度のユニークな研究機会を与えてくれました」