中米の神の飲み物だったチョコレート
チョコレートの語源は、ナワトル語の「苦い水」を意味する「ショコラトル(Xocolatl)」に由来します。
チョコレートはもともと、マヤやアステカなどメソアメリカの人々が伝統的に飲んでいた苦くて辛い儀式の飲み物だったのです。
これは苦いカカオの実を発酵させ乾燥させることで得られるカカオ豆から作られています。
発酵の歴史は非常に古く、記録の中では紀元前9000年頃まで遡るという説もあります。
多くの人々は、人類文明は狩猟生活から農耕生活へ移行してから誕生したと考えていますが、ビールの醸造など発酵を用いた飲料は狩猟民族の時代から作られていた記録が見つかっています。
そのため、メソアメリカの古い時代の人々も、苦くて不味いカカオの果肉が簡単に発酵でき、そこから栄養価の高いチョコレートが作り出せることを発見したのだと考えられます。
こうした推測の証拠は、ホンジュラスの北部の遺跡から見つかっていて、紀元前1100年頃の陶器の破片を分析すると、そこにテオブロミンの残留物が含まれていたのです。(PNAS,2007)
テオブロミンはチョコレートの苦味成分で、カフェインに似た覚醒効果を持っています。
ちなみに犬や猫はテオブロミンを体内で処理できないため有毒です。犬にチョコをあげてはいけない原因がこのテオブロミンです。
その後もいくつか同様の証拠が見つかり、チョコレートには4000年近い歴史があると判明します。
アステカの神話では、カカオの種を人間に与えたのはケツァルコアトルという神だったと伝えられていて、チョコレートは神の飲み物としてメソアメリカの人々に古くから珍重されていたのです。
このときのチョコレートはカカオ豆を焙煎しすりつぶして水に混ぜ加熱した飲み物で、そこにトウガラシなどのスパイスを混ぜて泡立てて飲んでいたようです。
これはアステカやマヤの人々にとって、強力なエナジードリンクでした。
チョコレートが人類の歴史上へ正式に登場するのは16世紀、クリストファー・コロンブスが新大陸に到達してからです。
しかしコロンブスはこのとき現地人から振る舞われたチョコレートを、ただの不味い飲み物と思っただけでした。
その後、今度はスペイン人のエルナン・コルテスがアステカ帝国へやってきます。
コルテスもここでチョコレートを振る舞われます。
しかし、コルテスはコロンブスと異なり「この飲み物を飲むと、疲労も空腹も感じなくなり1日中活動できる」と気づくのです。
そこでコルテスはこのチョコレートを本国へ持ち帰り、王室に献上します。
そしてスペインの王侯貴族たちの嗜好品としてチョコレートは広まっていきました。
ただ、ここでもチョコレートはトウガラシやコショウなどのスパイスを混ぜて飲む、苦くて辛い飲み物で薬品という認識でした。
その後、チョコレートは修道士たちの間でも流行り始めます。
その理由は、当時の修道士たちには断食の習慣があり、この際チョコレートを飲んでおくと長期間の断食にも耐えられたためです。
ただ、教会はこのチョコレートを情熱に火をつけ、欲望を掻き立てる飲み物であるとして禁止しようとしました。
しかし結局は修道士や修道女の間でチョコレートは流行り続け、彼らはこの苦い飲み物をより飲みやすくしようと様々な食材と合わせて改良していきます。
そうした中で、トウガラシの代わりに砂糖を混ぜることで、非常に甘く飲みやすくなることが発見され、ビジネス商品として広まり始めたのです。
このチョコレートの製法をスペインは100年近く秘匿して、修道院の壁の内側でこっそりと製造される収益性の高い独占商品となりました。
その後17世紀に入り、イタリア人のアントニオ・カルレッティがカカオ豆の加工の秘密を暴露したことで、チョコレートは世界に広まっていくことになるのです。
チョコレートはこのときはずっと飲み物で、今のように固めたチョコレートはオランダで最初に加工されて広まったといわれます。
なお、「ココア」というチョコレートによく似た飲み物は、1700年代に英国の輸入業者が「カカオ」の綴りを間違えたことが由来とされています。
今では誰にも愛され親しまれるお菓子の代表チョコレートですが、古代より人々にエナジードリンクとして親しまれ、教会も情熱に火をつけるなどと言って禁止していたことが、もしかしたら現代の愛の贈り物になった理由かもしれません。