ファンは「エンターテイナーとしての能力」を純粋に愛する
反対に、好きな有名人への憧れがその人のエンターテイナーとしての能力にもとづく場合、ストーカー行為に及ぶ可能性は低くなることが示されました。
たとえば、歌手なら美しい歌声や元気をくれる楽曲に、俳優なら心を揺さぶる演技に感激するなど、有名人を応援する理由が純粋に娯楽性にのみもとづいている場合です。
これらの人々はストーカーではなく、ファンと言えるでしょう。
アンケート調査でもこの傾向が強い人々は、有名人に対し個人的な考えや感情を抱くことは少なかったようです。

実は「ストーカー」という言葉が世界的に浸透したのは比較的近年のことであり、日本では主に1990年代に定着しました。
それ以前は「ファンなのに危害を加えるストーカー」という存在が理解できず、ストーカーに当たる行為には見知らぬ人であれば「変質者」、知り合いであれば「痴情のもつれ」という言葉が使われていたのです。
実際97年にフジテレビで放映された人気ドラマ「踊る大捜査線」の中では、ストーカー犯罪を高齢の署長は理解できず「なんで好きなのに危害を加えるの?」という質問に、主人公の青島が一生懸命説明するシーンが描かれています。
しかし、ここ20〜30年で「ストーカー」と名の付く事件が国内で一挙に急増しています。
その背景には、ネットやSNSの発達により「推し」の動向や情報が入手しやすくなったり、地下アイドルや握手会の増加など、実際に会いに行きやすくなったことが関係しているのかもしれません。
もし自分の「推し活動」がストーカーに発展しないか心配している人がいるなら、今回の危険要因に自分が偏っていないか省みるといいかもしれません。
人気商売というのは信仰を使ったビジネスなので、ストーカーすなわち信者がつかないようでは逆に話にならないです。
ファンは信者ではないですからね。
商売はストーカー(すなわち信者)だけで成り立ってるわけじゃない
ストーカーより圧倒的に多いファンあってこそ