オスは草原でなら「ハーレム生活」を満喫できる?
これまでの研究で、カモシカを含む有蹄類(蹄のある哺乳類)は、森林に住む種(森林性)と草原に住む種(草原性)で社会システムが大きく違う傾向にあることが明らかになっています。
具体的にいうと、森林性の有蹄類は「単独性・一夫一妻」の社会システムを、草原性の有蹄類は「群れ性・一夫多妻」の社会システムを持つことが多いのです。
一方で、有蹄類の祖先はもともと森林に暮らしており、地球の寒冷化によって広がった草原へと新たに進出する中で、単独性から群れ性、一夫一妻から一夫多妻の社会が進化したと考えられています。
しかし森林性の祖先が草原に進出したときに、どのように群れ性や一夫多妻に移行したのか、いかなる環境条件(生活空間や資源、天敵の有無)が社会システムの変化に関係したのかはほぼ何も分かっていません。
そこで研究チームは、長野県浅間山の森林と高山草原の両方に暮らすニホンカモシカ(学名:Capricornis crispus)を対象に、7年間の長期にわたって追跡観察をすることに。
森林と草原での社会システムを比較して、環境の違いがカモシカの行動に与える影響を調べました。
2014年7月〜2021年6月にかけて300日以上の調査を行い、計44頭(オス6頭、メス14頭、若齢個体24頭)のカモシカを観察しています。
カモシカはそれぞれ「ムラカミ・クロサワ・オオシマ」のように名前を付けて識別されました。
観察の結果、森林に暮らすメスは1頭で行動圏(ある個体が普段活動する範囲)を持つのに対し、草原では2〜3頭のメスが行動圏を重複させていたのです。
また、お隣の行動圏の境界近くでメス同士が出くわすと、激しい攻撃行動が起こったことから、メスは同性に対して行動圏を防衛していることが分かりました。
つまり、森林のメスは単独で縄張りを持つのに対し、草原では複数の群れで一つの縄張りを持っていたのです。
他方で、オスは森林でも草原でも同性に対して常に単独で縄張りを持っていました。
そしてオスとメスの行動圏は特定の個体同士で大きな重複が見られ、互いに行動圏が重なる相手と「つがい関係」を結んでいたのです。
こちらは2014年に記録されたカモシカの年間行動圏の分布で、M(太線)はオス、F(細線)はメスの行動圏を示します。
同じ色のオスメスの組み合わせが「つがい関係」を意味しており、たとえば、赤線は1M(ミギー)に対し、1F(ムラカミ)・2F(クロサワ)・3F(ミツウラ)・4F(ベジータ)・5F(アサコ)の5頭のメスが恋愛関係にあります。
いわゆる、一夫五妻です。
調査期間では計27組のつがいが確認され、うち29.6%が一夫一妻、70.4%が一夫多妻でした。
さらに、オスの行動圏に占める「草原の面積」と「つがいメス数」の関係を調べたところ、森林に暮らすオスは一夫一妻であるのに対し、草原では1頭のオスに対しつがいとなるメスの数が多く、一夫多妻の傾向が強くなっていたのです(下図を参照)。
森林ではメスが単独で生活しているため、オスは常に1頭のメスとしか恋愛できないのに対し、草原ではメスが群れているため、オスも複数のメスと関係が築けるプレイボーイになっていたのです。
おそらく、森林よりも広々とした開放的な草原がメスの群れ化を促進し、そのおかげでオスもハーレム生活を満喫できるのでしょう。
今回の結果は「森林から草原への進出が有蹄類における複雑な社会システムの変化を引き起こす」とする仮説を初めて実証的に支持するものです。
この新たな知見を受けて、研究チームは「カモシカの社会システムの理解は本種の保全や管理を適切に行うために重要な基礎情報となる」と述べています。