オッペンハイマーのブラックホールに関わるノーベル賞級の業績
オッペンハイマーにはノーベル賞受賞歴はありません。
ノーベル賞は生きている人間にだけ与えられる賞なので、いくら優れた業績を残しても、死後に評価された場合は対象外となってしまうからです。
オッペンハイマーは1939年、ブラックホールがどんな条件で形成されるかという、極めて先進的な理論を発表しました。
ブラックホールは簡単に言えば、重さに耐えきれず時空に開いた穴が開いた状態です。
通常、質量を持つ物質が大量に存在すると、それらは重力によって互いに引き合い、太陽のような巨大な星が誕生します。
すると星の内部は重力によって大きな圧力がかかることになります。
太陽などでは、星の内部にかかる圧力を核融合による熱が支えているため、星の大きさは安定に保たれています。
しかし核融合の燃料が尽きてしまうと星を支える力が失われ、全てが星の中心点に向かって落下をはじめます。
すると星の内部は異常な高温高圧にさらされ、原子も原子核もバラバラに砕けてしまい、星の中心部には原子核の部品の1つである中性子のみが残されます。
2つの野球ボールを頑張ってくっつけようとしても、空間的な位置が重なってくれないのと同じように、中性子に圧力を加えても「普通は」反発されて重なりません。
そのため中性子の核ができると、かなりの圧に対しても、星を支えられるようになります。
たとえば超新星爆発も、中性子の核の耐久性に依存しています。
核融合の燃料が尽きると星の外部が中心部の核に向けて一斉に落下していきますが、硬い中性子の核にバウンドすると、逆に外側に向けて衝撃波として跳ね返りを起こします。
この外向きの跳ね返りこそが、超新星爆発の正体です。
では中性子の硬い核さえあれば、どんなに巨大な星も支え切れるのでしょうか?
この疑問に対しオッペンハイマーは、中性子が耐えられる圧力は無限ではなく、一定の限界があることに気付きました。
そして限界を超えた圧力が加わると「重力崩壊」という現象が起こって、全ての物質が無限に1点に向けて落下しはじめます。
この全てが1点に落下する存在こそ、現在私たちがブラックホールと認識している天体になります。
つまりオッペンハイマーはブラックホールの存在に最初に気付いた1人だったのです。
しかし論文が発表された1939年の段階では、ブラックホールの存在自体に多くの人が懐疑的でした。
そのためオッペンハイマーの理論は、1960年代に再びブラックホールの問題が議論されるようになるまで、忘れられたままでした。
さらにブラックホールにかんする実験的な証拠がみつかりるには1990年代を待たなければなりませんでした。
もしオッペンハイマーが62歳ではなく90歳まで生きていたならば、間違いなくノーベル賞を受賞していたでしょう。
もしオッペンハイマーがブラックホール理論でノーベル賞を受賞していたら「私は死神、世界の破壊者」の代りに、どんな言葉を残してくれていたのでしょう。
歴史のIFには答えはありません。
しかしオッペンハイマーが実際に残した言葉にどんな意味が込められていたかはわかっています。