苦味の起源は4億6000万年前「オルドビス紀」まで遡る
脊椎動物はいつ苦味の感覚を手に入れたのか?
謎を確かめるため研究者たちが着目したのが、古い時代に他の魚類と分岐したサメなどの軟骨魚類でした。
これまでの研究により、私たちの祖先となった硬い骨を持つ魚類にT2R遺伝子が存在することが知られていました。
もしサメに苦味を検知するT2R遺伝子が存在する場合、苦味の起源は軟骨魚類と硬骨魚類の共通先祖がいた4億6000万年前(オルドビス紀)まで遡ることが可能になります。
なぜサメの遺伝子を調べるだけで年代測定までできるのか不思議に思うかもしれませんが、原理は簡単です。
たとえば上の図のように「A」という遺伝子が共通先祖を持つ2種の両方に存在した場合、A遺伝子の起源は共通祖先の時代まで遡ることが可能です。
生物の遺伝子は突然変異によって新たに生成されることがありますが、それでもレアイベントには違いなく、同じDNA暗号を持つ遺伝子を、2つの異なる種がそれぞれ独自に獲得したと考えるのは不自然です。
2つの種の共通祖先が「A遺伝子」を持っていたから、その子孫となる2つの種にも「A遺伝子」が存在すると考える方が合理的と言えるでしょう。
この方法は先祖となる生物が絶滅してしまっている場合でも有効に働きます。
上側の普通の魚の系統と下側の軟骨魚類の系統の全てが遺伝子Aを持っている場合、それぞれの祖先(親ポジション)も遺伝子Aを持っており、さらなる祖先(祖父母ポジション)も遺伝子Aを持っていると考えられるからです。
また遺伝子を採取する範囲を広げれば広げるほど、遺伝子を過去に辿ることができます。
たとえば生物の目で光を検知する遺伝子「ロドプシン」について調査した研究では、私たちの目で光を検知するロドプシンの起源は、10~20億年前に存在した単細胞生物の光センサーまで遡れることが判明しました。
この研究では脊椎動物だけでなくタコやイカ、昆虫やナメクジ、そして単細胞生物まで広範な生物の遺伝子が調べられており、真核生物の起源に迫るまで遡ることができました。
遺伝子を調べるならば「化石からDNAをとればいいのでは?」と思われるひともいるでしょう。
確かにネアンデルタール人の骨やマンモスの毛からDNAを採取して解析する試みが世界各地で行われています。
しかしDNAの半減期は521年、つまり500年経過するごとに半分が分解されていってしまいます。
そのため680万年でおおよそ全ての生物のDNAが完全に分解され、意味あるデータを得るのは150万年前までが限度であると考えられています。
ネアンデルタール人やマンモスがいたのは数十万年前なのでなんとかなりますが、4億6000万年前の化石となるとDNAを抽出できる見込みはほぼ皆無です。
そのため今回の研究ではサメやエイなど軟骨魚類に属する17種の現存種の遺伝子が分析され、T2Rと同様の遺伝子が存在するかが確かめられました。
結果、12種においてT2Rと同様の味覚受容体の設計図となる遺伝子が存在することが判明します。
ただ発見を確かなものにするには、サメのT2R受容体が苦味に対して反応するかを確かめなければなりません。
そこで研究者たちはサメの遺伝子をヒト腎臓細胞に移植し、ヒト腎臓細胞の表面にサメのT2R受容体を出現させ、94種類の苦味物質に晒してみました。
(※生きた細胞にT2R受容体が接続されていることで苦味物質に反応するかを細胞レベルで確かめることが可能になります)
苦味物質にはブドウやワインなどに含まれるレスベラトロールなどに加えて、世界で最も渋い味として知られるリンドウから抽出されたアマロゲンチンが含まれていました。
すると複数の苦味物質にサメのT2R受容体が反応して活性化していることが判明します。
また同じ苦味物質はゼブラフィッシュやシーラカンスなど硬骨魚類の苦味受容体の活性化を誘導し、人間にとってはいずれも苦い味を感じることが判りました。
これらの結果は、苦味の感覚の起源が4億6000万年前に存在した硬骨魚類と軟骨魚類の共通先祖まで遡れることを示しています。
ただサメなどに存在する苦味検知受容体は1種類であり、サメは苦い食べ物が何かを判別できても、苦さの幅を感じることはできないと考えられます。
そのため研究者たちは、サメはコーヒーの苦味を楽しむことはできないだろうと述べています。
研究者たちは今後、他のサメやエイでも同様の調査を行い、同じ結果が得られるかを調べていきたいと述べています。
人間がピーマンを嫌ったり朝のコーヒーを楽しめるようになったのが、4億6000万年前に生きた原始的な魚たちの進化のお陰だというのは、進化の歴史の奥深さを感じさせます。