ヒヒのミイラのDNAから記録から失われた都市の位置が判明した
ヒヒのミイラのDNAから記録から失われた都市の位置が判明した / Credit:© 2023 by Mike Costelloe is licensed under CC BY-NC-ND 4.0.
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古代エジプトの「失われた港湾都市」の位置がヒヒミイラのDNAから判明か

2023.11.26 Sunday

古代エジプト人は「ヒヒ」を神聖な動物とみなし、知恵の神トートとして崇拝していました。

遺跡からはそんなヒヒをミイラ化した像がいくつも見つかっています。

その一方で、ヒヒはエジプトに生息していなかったため、彼らは「プント(Punt)」と呼ばれる場所から輸入していました。

しかしこのプントは記録上にこそ登場するものの、今までどこにあるのか全く不明だったのです。

まるで日本の邪馬台国みたいなものですね。

そんな中、独コンスタンツ大学(University of Konstanz)を中心とする国際研究チームは、ヒヒのミイラから採取したDNAを調べて、そのおおよその位置を特定することに成功しました。

それによるとプントは、アフリカの角”の一部であるエリトリアにあった可能性が高いとのことです。

研究の詳細は、2023年9月28日付で学術誌『eLife』に掲載されています。

On the trail of a great mystery https://www.uni-konstanz.de/en/university/news-and-media/current-announcements/news-in-detail/einem-grossen-mysterium-auf-der-spur/ Mummified baboons point to the direction of the fabled land of Punt https://arstechnica.com/science/2023/11/mummified-baboons-point-to-the-direction-of-the-fabled-land-of-punt/ Baboon mummy DNA from ancient Egypt reveals location of mysterious port city not on any maps https://www.livescience.com/archaeology/ancient-egyptians/baboon-mummy-dna-from-ancient-egypt-reveals-location-of-mysterious-port-city-not-on-any-maps
Adulis and the transshipment of baboons during classical antiquity https://elifesciences.org/articles/87513

記録にのみ登場する「プント」は一体どこにある?

プントに遠征したときの古代エジプト兵士の絵
プントに遠征したときの古代エジプト兵士の絵 / Credit: en.wikipedia

プント(Punt)にまつわる最古の記録の一つは、エジプト第5王朝(紀元前2498〜紀元前2345年頃)で作られたとされる「パレルモ石」に残されています。

それによると、紀元前2450年頃のサフレ王の治世に、大量の乳香やエレクトラム(金銀合金)、マラカイト(孔雀石)や没薬(もつやく※)を輸入するためにプントまで遠征していたことが記されていました。

(※ 没薬は熱帯産の低木コミフォラから取れるゴム樹脂で、黄黒色で臭気が強く、ミイラ製造の防腐剤などに重宝された)

パレルモ石
パレルモ石 / Credit: ja.wikipedia

プントの最も詳細な記録は、エジプト第18王朝のファラオ・ハトシェプスト女王に捧げられた石碑の中で見つかっています。

ハトシェプストの一団は紀元前1493年頃にプント遠征を行い、高床式の蜂の巣のような家が立ち並ぶ村、あらゆる種類のエキゾチックな動植物など、プントの情景に関する貴重な記述を残しました。

そしてこのプント原産の動物の中に「ヒヒ」がいたことも記されていたのです。

この頃にはすでに古代エジプト人がプントからヒヒを輸入していたことが伺えます。

古代エジプトの遺跡から見つかったヒヒのミイラ像(BC1550〜BC1069年頃のもの)
古代エジプトの遺跡から見つかったヒヒのミイラ像(BC1550〜BC1069年頃のもの) / Credit: The British Museum

その後、ラムセス2世(紀元前1303〜紀元前1213年)の治世にもプント遠征が行われていました。

現存するパピルスには貨物を積んだ船で紅海を渡ったことが記されており、これがプントに関して見つかっている最後の記録となっています。

しかし1000年以上にわたって交易が続いていたにも関わらず、いずれの記録にもプントが正確にどこに位置するかは記されていませんでした。

(あるいはプントの位置を記した地図はまだ見つかっていないか、すでに失われてしまったのかもしれない)

ヒントは紅海を下っていることですが、それでもアフリカ東北側のスーダン・エチオピア・ソマリアから、アラビア半島側のサウジアラビア・イエメンなど、該当する場所はたくさんあります。

紅海を下っていることは確か
紅海を下っていることは確か / Credit: google map

果たして、プントは一体どこにあるのか?

研究チームは、その答えをプントから輸入したであろうヒヒのミイラから探ることにしました。

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