普通の生贄もいた邪馬台国
余談ですが邪馬台国には持衰のような特殊や生贄だけではなく、普通の生贄もいました。
具体的には卑弥呼が死去した際に100人以上の生贄が捧げられており、彼らは卑弥呼の墓に生きたまま埋められました。
このとき卑弥呼の墓に埋められた人々は奴婢であり、彼女の死後も世話をするために共に埋葬されたのです。
奴婢は当時の奴隷であり、奴(男の奴隷)と婢(女の奴隷)を合わせた名称です。
この行為は神への供物ともされ、古代の信仰文化において人命が捧げられることもありました。
このように弥生時代には権力者の死後に生贄を捧げる儀式がありましたが、古墳時代になるとなくなりました。
生贄がそのまま埴輪に置き換わったわけではないですが、代わって多くの副葬品が埋められるようになったのです。
現代の私たちからすれば、持衰などといった古代のこのような風俗は野蛮にみえることでしょう。
しかし弥生時代の人々にとって中国への航海は無事に帰ってこれるのかさえ分からないものであり、何者かにすがらないと精神が持たなかったでしょう。
持衰が本当に航海成功の生贄として機能していたかどうかは分かりませんが、少なくとも同行するメンバーの精神衛生を保つことはできていたと考えられます。