量子チェシャネコはインチキではない
量子チェシャネコの概念を理解するには、観測結果のえり好み「ポストセレクション」という、奇妙な観測方法を理解する必要があります。
中学や高校でする物理実験では、全ての観測結果を収集して平均値や誤差を算出するのが当たり前です。
しかしポストセレクションに従った観測では、特定の結果しか出てこないようにしてしまうという、荒業がとられます。
あえて簡略化して表現すれば、丸と四角のブロックがそれぞれの形に対応する丸穴・四角穴からしか出てこないような装置があった場合、丸ブロックをえり好みするポストセレクションをするときには、四角ブロックの穴を塞いでしまうのです。
こうすれば穴を通るのが観測できるのは、丸ブロックだけとなります。
日常レベルの常識では、そんな観測は無価値であるばかりか、悪質なデータ改ざんと判断されるでしょう。
そう、日常レベルでは。
しかし常識が通じない量子力学の世界では、少し条件を加えるだけで、このインチキ臭い「ポストセレクション」が立派な観測データとして機能します。
その条件とは、完全に結果を決定するほど確かではない、ほどほどの弱さの観測です。
あえて人間で例えるならば、丸ブロックしか落ちないようにした装置を、薄目の状態で観測するのに似ているでしょう。
薄目での観測のため、出てくるブロックはなんとなく丸であることはわかりますが、四角ブロックの可能性も捨てきれない、という状況です。
日常の常識では、そんなことをしても何の意味もないしょう。
しかし量子力学の世界では、観測によってはじめて物体の状態が決定されるという、大前提があります。
これは観測方法の問題や技術的な問題のせいでもなく、観測が行われるまで物体の状態に関する情報が、私たちの宇宙に存在しないことが原因です。
日常の常識では全く受け入れられませんが、100年以上におよぶ物理実験によって、この嘘のような現象が本当であることが示されています。
やや極端に言えば、量子力学における観測は、物体の情報を調べるのではなく、曖昧な状態にある物体の情報を生成する役割を持っているのです。
なにやら化かされたように感じる話ではあります。
実際、量子力学の黎明期には、そんなことはあり得ないと大いに叩かれました。
あのアインシュタインですら、物体の状態は観測されるかどうかにかかわらず、観測前に決められていると述べています。
ですが量子力学の進歩により、それが間違いであることが証明されました。
残念なことに、人間の直感には物理法則の嘘本当を決める裁判官のような権利はなかったのです。
ですが問題はここからです。
観察によって物体の状態が決まるなら、そうならないような「薄目で見る」ようなギリギリ弱い観察を行った場合、何が起こるのでしょうか?
結論から言えば、得られる結果は「傾向」つまり統計的なものに留まります。
たとえば現代の技術では、1つの粒子を2つの通り道のどちらにも存在する「量子的な重ね合わせ状態」にすることは極めて簡単です。
量子力学を扱う大学研究室を覗けば、似たような装置は、ほぼどこにでもあるほど普及が進んでいます。
あえてソシャゲ風に言えば、そんな装置のレアリティーはSSRどころかR以下、高価な遠心分離機と同じ程度にありふれたものと言えるでしょう。
量子チェシャネコの実験でも、このありふれた装置を使って、1つの粒子を2つの経路を同時に通らせる「量子的重ね合わせ」にし、最後に結合させるという手順をとります。
ただ普通の重ね合わせとは違って、上側は縦揺れ、下側は横揺れしか通らないように装置に細工をします。
このような操作も、量子力学を研究している人ならば簡単に実行可能です。
そして合わさったときに、えり好み観測「ポストセレクション」を行って、縦揺れしか観測できないようにします。
量子チェシャネコでは、このときある質問をします。
最終的に縦揺れの粒子しか観測できない場合、粒子は上側ルートと下側ルートのどっちを通ってきた確率が高いのか?
当然、答えは上側ルートとなるでしょう。
下ルートを行った横揺れ粒子が移動中に何らかの原因で縦揺れに変化した確率もわずかながらにありますが、多くはありません。
ここからが量子チェシャネコのミソです。
まず上ルートを通った粒子は揺れ方向に影響を全く受けずに出てきたという結果にだけに着目します。
そして影響を全く受けないということは「実質的に」上ルートを通った粒子には「揺れる性質そのもの」が存在しないのではないか?と考えます。
合わさったときにポストセレクションで観測された結果だけを考えれば、上ルートを通った粒子からは揺れる性質をどうやっても見い出せないからです。
観測しなければ存在しないという人間の直感を否定する現実。
それは恣意的な観測でも発生する可能性がある。
たとえそれが粒子の性質の一部であっても。
量子チェシャネコではそう考えます。
そして下側を通った粒子は横揺れだったものが縦揺れに変化した確率が僅かながらに存在するのだから、少なくとも「揺れる性質そのもの」は存在するのだろう。
これは1つの粒子が上下ルートを通る重ね合わせ状態になると、上のルートは「揺れるという性質を持たない粒子(質量アリ)」が通過して、下側には「揺れるという性質(質量ナシ)」が通過したと解釈できます。
つまり、もともと質量と揺れるという性質の両方を持つ1つの粒子が、質量を持つ粒子と、揺れると言う性質だけを持つ粒子に分割されたことになるだろう。
これが量子チェシャネコの理論です。
おそらく今、この文章を読んでいる多くの人は「バカにするな」と思っているでしょう。
「恣意的なえり好み観測「ポストセレクション」をしてるから変な結果がでるのであって、それを無理矢理、質量と性質が分離していると解釈するのはこじつけだ!」と。
そこで今度は、上ルートと下ルートの両方にかなり手の込んだ振動装置のようなものを設置して、粒子の揺れ方向を変化させることにします。
フィルターのせいで上ルートを通る縦揺れ粒子はこの装置によって一定の確率で横揺れになるものが現れ、下ルートを通る横揺れ粒子は同様に一定数が縦揺れに変化します。
しかし最後に合わせって観測される粒子の揺れは、えり好み観測「ポストセレクション」のせいで縦揺れ粒子のみしかないとされます。
すると上ルートを通る粒子に対して振動方向を変える装置を使っても、揺れ方向は変わらなかったという結果となります。
また下ルートを通った粒子は振動方向を変える装置によって、縦揺れが横揺れになったと考えます。
この結果は実質的に、上ルートを通った粒子は揺れる性質をもたないが、下ルートを通った粒子は揺れる性質をもっていることになります。
実験に手を加えても、恣意的な観測をしているから信じられないと思う人もいるでしょう。
しかし近年の研究では、この結果が単なる「こじつけ」や「言葉遊び」ではないことが徐々に明らかになってきました。
かつては量子チェシャネコの前提となる、えり好み観測「ポストセレクション」や弱い観測そのものに、否定的な意見が多く聞かれましたが、それも大きく変わりつつあります。
だとすれば、私たちはこの事実をどう受け止めたらいいのでしょうか?
質量と性質が可分であるという事実を認めれば、私たちの現実認識に劇的な変化が起こるのは避けられないでしょう。