何者かの手によって「暗殺」される
バーデン大公家の世継ぎ説については、今日でも議論が続いています。
その説によると、カスパーは元々、バーデン大公カールとその妃ステファニー・ド・ボアルネの子供であったが、カールと別の女性との間にできた子供を後継ぎにするためにすり替えられたのではないかとするものです。
しかしこの噂が大きくなり始めた頃に悲惨な事件が起こります。
1833年12月17日にカスパーは正体不明の男にナイフで刺され、それが原因となって亡くなってしまったのです。
実はその頃、カスパーは人々の教育によって自らの出自を少しずつ語り始めているところでした。
それによると、カスパーは予想通り、幼少期から地下牢に閉じ込められていたと話したのです。
地下牢は立つこともできないほど天井が低く、太陽の光が差し込まないほど真っ暗で、木製の馬のおもちゃが与えられていたのみだったという。
そして朝起きると手元にパンと水が置かれていて、排泄は近くにあったバケツで済ませていました。
この監禁生活が解放されるまで何年もずっと続いていたのです。
しかしそれ以上の真相を聞き出す前に、何者かの手によってカスパーは暗殺されてしまいました。
カスパーの出自がバレることを恐れた者による犯行なのか、その後も犯人の正体はわかっておらず、カスパーは約21年という短い人生に幕を閉じています。
最新のDNA研究で「バーデン大公家の世継ぎ説」が否定
そんな中、英バース大学(University of Bath)は最近、「バーデン大公家の世継ぎ説」を否定する研究を発表しました(iScience, 2024)。
博物館に保管されているカスパーの毛髪や血液サンプルを調べたところ、母親から受け継がれるミトコンドリアDNAの型がバーデン大公家の血族のものと一致しないことが確かめられたのです。
このことからカスパーはバーデン大公家の世継ぎではなかったと考えられます。
となるとカスパーにまつわる謎はさらに深まるばかりです。
カスパーは一体いつどこで生まれたのか。誰が何のために彼を地下牢に監禁し、突然町に捨てたのか。
そして誰がどのような目的でカスパーを暗殺したのか。
カスパーの名誉のためにも真実が明らかになることを願うばかりです。
その一方で、カスパーの数奇な人生は文学や映画、音楽などに大きな影響を与え続けており、最後に亡くなった地のアンスバッハでは今でも2年ごとにカスパーのための祭礼が行われています。