奈良県葛城市に位置する當麻寺の金剛力士のうち、阿形像頭部に営巣した二ホンミツバチ
奈良県葛城市に位置する當麻寺の金剛力士のうち、阿形像頭部に営巣した二ホンミツバチ / credit: 當麻寺 護念院
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二ホンミツバチが仏像に巣作り。殺生禁止で困った末に取られた策とは (3/3)

2025.02.22 18:00:14 Saturday

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二ホンミツバチはどうして仏像内に巣を作ったのか

二ホンミツバチは木のうろなどに営巣する性質を持っています。

そのため、長崎県の対馬のように、二ホンミツバチをつかまえるのではなく「呼び寄せる」という伝統養蜂を行っている地方があります。

二ホンミツバチを呼ぶため、丸太をくりぬいた営巣場所「蜂洞」を準備し、屋根をつけておいたものを置いておくと二ホンミツバチが住み着くので、そこから蜜をいただくという養蜂です。

自然の中でもうろになった木などに営巣する二ホンミツバチですが、そうした場所を探すのはそれなりに大変らしく、くり抜かれた丸太に住み着くことで行われてきたものです。

二ホンミツバチを呼び寄せて養蜂を行うための蜂洞。木をくり抜き、屋根をつけてある
二ホンミツバチを呼び寄せて養蜂を行うための蜂洞。木をくり抜き、屋根をつけてある / credit: Wikimedia Commons

ミツバチは新しい女王が誕生すると、旧女王は巣の中の群れを引き連れて巣を離れます。元の巣は新しい女王に譲り、自分は一部の働き蜂を連れ、新しい巣を探して旅に出るのです。これを分蜂(ぶんぽう)といいます。

季節は3月から4月頃。時折ニュースにもなり、ミツバチが球のようなかたまりになって休んでいる映像を見たことのある人も多いでしょう。

二ホンミツバチも分蜂を行い、群れは引っ越し先を探します。対馬など伝統養蜂を残している地域では、このように分蜂をした二ホンミツバチを「ここに好条件の新居を用意しましたよ」と呼び寄せているのです。

自然の中では見つけにくく競争率も高い天然の木のうろよりも広い場所を人があらかじめ準備しておいてやることで二ホンミツバチを呼ぶ。養蜂家にとっても二ホンミツバチにとっても、win-winの関係と言えるかもしれません。

人は新居を用意し、ミツバチは蜜を提供する。実際は蜜を奪われているわけですが、採蜜し過ぎるとミツバチは逃げてしまい戻ってこないそうなので、ギブアンドテイクの関係が成り立っているといえるでしょう。

皆さんも分蜂を見かけたら、殺虫剤など使わずそっとしておいてやってください。ミツバチは引っ越し先を探しているだけなのですから。

二ホンミツバチの分蜂。新しい女王に巣をゆずり、旧女王は群れを引き連れて新しい営巣場所を探す
二ホンミツバチの分蜂。新しい女王に巣をゆずり、旧女王は群れを引き連れて新しい営巣場所を探す / credit: Wikimedia Commons

そして二上山の二ホンミツバチです。當麻寺は二上山山麓の自然豊かな土地に建てられています。お寺があることで守られてきた豊かな自然と動植物、昆虫たち……。

そう、その昆虫たちの中には二ホンミツバチもいたのです。そして仁王像は空洞の木彫仏。豊かな自然の中で順調に巣を大きくし、新しい女王も誕生したところで旧女王は群れを引き連れ、引っ越し先を探して旅立ちました。

何日間、木のうろを探して飛んだでしょう。やがて二ホンミツバチたちは最適な木のうろを持った安住の地を見つけたのです。そこは當麻寺の仁王門に安置された仏教のガーディアン、金剛力士像の阿形像でした。

阿形像は口を開いているので、二ホンミツバチは空洞になっている頭部に入ることができました。これがまた絶妙に二ホンミツバチが通るのにちょうどいい高さに開いているのです。

像を制作した仏師はそんなことは意図していなかったと思いますが、二ホンミツバチにとっては、まことに都合のよい出入り口として映っていました。

そんな狭い隙間の向こうに空洞がある営巣場所をよく見つけたものだと感心します。

阿形像を見つけた二ホンミツバチの群れは、新しい引っ越し先にとても満足して住み着きました。

参拝する人がいるため敵の少ない、そもそも敵の入り込みにくい仁王門です。二ホンミツバチにとってはまさに極楽浄土だったことでしょう。

一匹のミツバチが一生のうちに集めるハチミツはティースプーン一杯分だという
一匹のミツバチが一生のうちに集めるハチミツはティースプーン一杯分だという / credit: Wikimedia Commons

最初に二ホンミツバチが住み着いたことに気づいたのはどなただったでしょうか。當麻寺の方か、参拝者の方か。

しかし、そこはお寺です。仏教の教えで殺生ははばかられます。二ホンミツバチを駆除するわけにはいきません。さて、これはどうしたものか……。

思案しているうちに月日はどんどん過ぎていきました。二ホンミツバチはのどかに繁栄していましたが、阿形像はその分、汚損が進んでいきました。内部の巣に使われる蜜ろうだけでなく、外側にまで二ホンミツバチの排泄物などがついてしまい、手入れできないままになっていたのです、

お寺としての信仰も、仏像も、生態系も守りたい。何人ものプロの助言のもと、ついに當麻寺のある自治体、葛城市が動きました。

二ホンミツバチには強制的に引っ越ししてもらうことに決まり、汚損した阿形像の頭部から二ホンミツバチの巣を取り出して修復することになったのです。

こうして令和3年度より5か年計画で「市指定文化財 當麻寺 木造金剛力立像 修理事業」が始まりました。まずは阿形像から、引き続いて吽形像。

仏教が国教となったことで技術者が国家公務員となり、結果的に芸術表現の上がった仏教建築や仏像。木彫仏像は寄木造りと内部の空洞化で表現の自由度がぐっと上がりました

大きく、豊かな表現でリアルな表情を持つようになった金剛力士立像はしかし、二ホンミツバチにとっては営巣に都合のよい空洞の木材にしか見えていませんでした。とはいえ、こんな存在にも仏さまは慈悲を与えるんですね……。

二ホンミツバチが分蜂し、営巣したのが事もあろうに仏像。しかも二ホンミツバチにとって都合のよい出入り口までついていました(阿形像の開いた口)。

木のうろに営巣する二ホンミツバチ
木のうろに営巣する二ホンミツバチ / credit: Wikimedia Commons

これは二ホンミツバチにとって、対馬の伝統養蜂と何も変わらないどころか、集めた蜜を取られることもありません。さらに持ち主の當麻寺が殺生をはばかったことで、仏像が長期に渡って二ホンミツバチに安住の地を与え続けたのです。

この珍事は葛城市による二ホンミツバチの強制的な引っ越しで幕を閉じ、汚損した仁王像は修復されることで一件落着となりました。

これがもし強制的な引っ越しではなく、採蜜をして「仁王蜜」などと命名し仏前に供え続けるのも結構ありがたいことであったかもしれず、そうした案は出なかったのかは若干気にならなくもありません。

しかし結果として二ホンミツバチを守ってくれた當麻寺、葛城市の繁栄と、今後の二ホンミツバチたちの安寧を仏に祈りたいと思います。

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