火事が頻発していた江戸時代
江戸の町では火事が多発し、その原因もまた様々でした。
料理や灯りをつける際の不始末によるもの、強風の日を狙った火付け、怨恨による放火など、まさに町全体が火の粉の上にあったと言っても過言ではありません。
その背景には、密集する長屋や困窮した町人たちの暮らし、そして関東では名物の冬の乾燥した「からっ風」と呼ばれる風をはじめとする複合的な原因があります。
さらに、火事そのものを喜ぶ人々がいたというのも江戸ならではです。
火事が起これば大工や鳶職には仕事が増え、消火活動を目立たせようとわざと火を回す者もいたとのこと。
このため幕府は厳しい処罰を課し、火付け犯を見せしめに火焙りにすることもあったものの、それでも放火はなくなりませんでした。
江戸の町人たちにとって火事はもはや「風物詩」のようなものであり、冬になると女性たちが火事を避けて近郊の実家に避難する習慣まであったといいます。