「忙しさ」がADHD症状を減らす理由とは?
そもそもADHDを持つ人においては、やることがなかったり、達成すべき目標が漠然としていたり、指示が曖昧な状況において、ADHD症状が強く現れやすいことが知られています。
こうした状況にあるとADHD患者は何をどのように進めるべきかわからなくなり、目の前のことから気が逸れて、不注意や集中力の欠如が現れやすくなるのです。
そこでADHD症状を管理するセルフマネジメント方法として、具体的な目標設定やスケジュール化が役に立つことが以前から指摘されてきました。
特にADHD患者が目標やスケジュールを作る上では、漠然とした大きすぎるものではなく、小さくてもいいので明確な目標を設定することが大切です。
例えば、「散らかった部屋を掃除する」といった漠然としたものよりも、「お昼休憩の1時間を使って机の上だけを片付ける」とか「寝る前の時間でクローゼットの中を整理する」といったタスク分割をします。
そうするとやるべきことがより明確になり、作業時間も短くて済むので、ADHDの人にとっても集中力が持続しやすく、不注意も起こりにくくなります。
これを踏まえると、「忙しい状況」というのは、まさにこうしたセルフマネジメントに近い環境をADHD患者に自然と要請することになるのです。

先ほどのソフィーさんのように、学校の課題もして、部活動のラクロスもして、その他の課外活動もするとなると、1日のスケジュールを細かく設定することになるでしょう。
その結果、やるべきことが明確に定まって高い集中力を維持しやすくなったと考えられるのです。
このように仕事やプレイベートが忙しくなることは、ADHDを持つ人に具体的なスケジューリングを要求し、それが症状を緩和させる有益な行動につながっている可能性があります。
これを受けてADHD症状に悩んでいる人は、毎日をわざと忙しくさせる必要はありませんが、明確なスケジューリングを活用することで集中力を高く保ち、不注意を減らせるようになるかもしれません。
タイトルの印象からして、忙しければ忙しいほど良いように思えてしまうから危険。
過度に忙しい状況や、双極性障害などとの合併においてはどうなのかも明かされてないから、尚更。
元論文は、忙しいほど症状緩和するということを推してるのだろうか?
誤解を招く可能性やその他の条件によって左右される可能性などを考慮していなくて配慮や謙虚さが欠けている。
メディアのあり方としてどうなのだろう。
自分たちは紹介しているだけだから気にする必要はないと思っているのだろうか。
困ってるひとは例えそれが藁であっても縋りたくなるものだというのに。
専門家のチェックを受けた方が良いのではないだろうか?
論文の査読のようなコメントで草。知識があることをひけらかしたいのね…。自分の方がよくわかってるとマウンティングしたいのでしょう。
厳密性を求めるなら元論文を読めばいい。研究の限界についてちゃんと書いてあるでしょ。
厳密性を求めすぎると、市井の人に伝わるような記事は書けない。というか、厳密性を求め過ぎたら、論文そのまま載せるしかなくなるのでは?笑
そもそもこの人が疑問に思っている点である「忙し過ぎる状況でどうか」は、逆効果になりうることは一般的に想像しやすいレベルのことだし、「合併はどうか」なんて、それこそ重箱の隅を突く議論だし。シンプルに懸念しているというよりは、ただ攻撃したい、という意図がミエミエ。普段、この人が教育担当になってないことを切に願うわ。
メディアの人たちはこのバランスに苦慮して運営してくれてると思うし、断定的にならないように書いてるし、目くじら立てられて気の毒。