不幸な家庭環境から名門大学の心理学者に
ジョン・B・ワトソンは1878年1月9日、アメリカ南東部サウスカロライナ州の貧しい家庭に生まれました。
父親はアルコール中毒の女好きであり、ジョンが13歳のときに、不倫していた女性と一緒になるため、家族を置いて家を飛び出しています。
また母親の方は極端に信心深い女性で、ジョンに飲酒や喫煙、ダンスなどを固く禁じ、宗教的に厳しい教育を施しました。
そうした不幸な背景もあってか、ジョンは反抗的で暴力的な青少年期を送り、生涯にわたって宗教を毛嫌いする無神論者となっています。
こうした恵まれない家庭環境にあっては子供も不良になってしまいそうですが、意外にもジョンは幼少期から非常に成績優秀であり、地元のファーマン大学に通った後、シカゴで博士号を取得し、1907年には名門ジョンズ・ホプキンス大学で心理学の助教授となったのです。
さらにジョンは1913年の講演にて、その当時まで主流であった「意識を内面的から探究する心理学」ではなく、「外から観察できる行動や反応に注目する心理学」を提唱し、新しい「行動主義心理学」という分野を創始したのです。
そのため、彼の心理実験は主に、被験者に何らかの刺激を与えたときにどんな行動や反応を示すかという科学的な手法でありました。
その中でジョンが1920年に行った悪名高い心理実験の一つが「リトル・アルバート実験」です。
これは何も知らない赤ちゃんを対象に、恐怖反応が条件付けによって学習されうるかどうかを検証するものでした。
条件付けとは「パブロフの犬」で広く知られる実験であり、旧ソ連の生理学者イワン・パブロフ(1849〜1936)によって発見されたものです。
パブロフの行った実験ではまず、犬にベルの音を聞かせます。
その後、犬に餌を与えますが、このときに犬は餌に反応してよだれを垂らします。
パブロフはこの「ベルを鳴らしてから餌を与える」という一連の流れを何度も繰り返しました。
その結果、犬はベルの音を聞いただけで、餌が与えられなくても、よだれを垂らすようになったのです。
これは犬が「ベルの音が鳴った」=「餌がもらえる」というパターンを学習したことによります。
ジョンはパブロフの条件付け実験をもとに、その中身を変えて、赤ちゃんに恐怖を移植できるかどうか試したのです。
では、その禁断の実験の中身を見てみましょう。