アルバート坊やとジョン・ワトソン、それぞれの最期
実は実験台にされたアルバート坊やの素性は非常に謎めいており、何人かの研究者たちが彼の正体を突き止めようと調査を行っています。
その中で現時点では、2つの説が有力視されています。
1つ目は「ダグラス・メリット(Douglas Merritte)」という名前の男児だったという2009年の説です。
この説によると、1920年当時、大学キャンパス内の病院に勤務していたアルヴィラ・メリット(Arvilla Merritte)という女性がおり、その一人息子がダグラス・メリットでした。
調査では、母親のアルヴィラが報酬と引き換えに、生後9カ月のダグラスを実験に参加させたとされています。
ただダグラス・メリットは1922年に水頭症を患い、1925年に亡くなっています。
これが事実なら、アルバート坊やはわずか5〜6歳で生涯を終えたことになります。
2つ目は「ウィリアム・アルバート・バージャー(William Albert Barger)」という名前の男児だったという2014年の説です。
2009年の調査時に、アルバート坊やの母親として有力な3名の女性が挙げられており、そのうちの1人が先のアルヴィラ・メリット、そしてもう1人がウィリアムの母親であるパール・バージャー(Pearl Barger)でした。
ウィリアムの本名は実験時の呼称となっていた「アルバート・B(Albert・B)」とも合致していますし、顔つきや体重などの身体的特徴もよく似ていたといいます。
またウィリアムの方はダグラスと違い、2007年に88歳で亡くなるまで至って健康的に生きていました。
日常生活において条件付けによる恐怖反応が顔を見せることもありませんでしたが、特筆すべき点は、彼が動物(特に犬)を苦手としていたことです。
ウィリアムが本当にアルバート坊やなのだとしたら、犬が苦手なのは実験による条件付けが原因だったのかもしれません。
ただこのどちらがアルバート坊やだったのかは完全に決着がついていないとのことです。
では、禁断の実験を行ったジョン・ワトソンの方はどうなったのか?
彼は大学院の在学中に結婚し、2人の子供をもうけていましたが、1921年にある女性との不倫スキャンダルが発覚します。
それが一緒にリトル・アルバート実験を行った助手のロザリー・レイナーでした。
この一件が原因となり、彼は大学の研究職を追われ、妻とも離婚。
結局、ロザリーと再婚し、広告の仕事に就いて、2人の息子をもうけます。
ジョンは自らのキャリアで築き上げてきた行動主義心理学に基づいた教育を行いましたが、皮肉なことに、2人の子供はのちに自殺を試み、1人はそれが原因で命を落としました。
また元妻との間にできたメアリーという娘も後年に自殺を図っています。
さらに妻のロザリーは1935年に37歳の若さでこの世を去りました。
その後、ジョンは農場に引っ込んで世捨て人のような生活を送り、1958年に80歳で亡くなっています。
「行動主義心理学」の創始者として名を馳せたものの、彼は生涯にわたって不幸な家庭環境に苦しめられたようです。