アリの巣に潜入したコオロギたちは「バレても捕まらない」
調査にあたってはまず、アリヅカコオロギ自身がアリと同じ匂いを合成しているかどうかを調べるため、ガスクロマトグラフィー質量分析(GC-MS)を実施しました。
その結果、コオロギが宿主アリとまったく同じ匂いを“自力で”作り出している形跡は見つかりませんでした。
つまり、いわゆる匂い(化学擬態)によってアリの仲間として振る舞うのではなく、別の方法で巣内の攻撃を回避している可能性が高いというわけです。
そこで研究の主眼は、アリヅカコオロギがアリに接近された瞬間の“動き”に注目することになりました。
具体的には、高速度カメラなどを使って複数種のアリとアリヅカコオロギのやりとりを撮影・解析しました。
すると、コオロギの逃避行動には大きく2種類あることが判明しました。
ひとつは「ディスタンシング(Distancing)」と呼ばれる、直線的・高速にアリから離れる緊急回避でした。
この行動はアリと非常に接近してしまった、あるいは攻撃のリスクが高い“緊急事態”時に多用されていました。
もうひとつは「ドッジング(Dodging)」と呼ばれる、弧を描いてアリの背後に回り込む戦略です。
この行動はアリとの間合いがややある状況で選択されるほか、アリが過度に攻撃的でない場合に使われることが多く、背後に回り込むことでアリから視界(あるいは感覚)上“消えやすく”なり、その場所に留まりながら餌の探索なども続行できると考えられます。
これらの結果は、コオロギが相手アリの攻撃強度や危険度を何らかの感覚で把握し、“ここはすばやく逃げた方がいい”か“背後に回り込めばしばらく大丈夫”かを瞬間的に判断していることを示唆しています。
加えて、行動シミュレーションを行った結果、コオロギは状況に応じてこれら2種類の逃避行動を使い分けることで、狭いアリの巣の中でも効率よく餌を探し、長期的に生活できる可能性が示唆されました。
研究チームはこの“二刀流”ともいえる戦略が、アリヅカコオロギの潜入作戦を支える重要な鍵だと結論づけています。
アリと共に暮らす好蟻性生物は世界中で何度も独立に出現しており、「アリと暮らす」ための形質がどのように進化してきたかは、進化生物学の重要なテーマの一つです。
今回のアリヅカコオロギのように、化学戦略がさほど強くない種が持つ行動適応は、ある意味で「汎用性が高い」利点をもたらすと考えられます。
潜入先のアリと同じような化学物質をまとうことは安全性を向上させるのは間違いありませんが、ターゲットとした種『以外』の巣に忍び込むことを難しくしてしまい、進化の袋小路に迷い込む可能性があるからです。
一方で、物理的な逃避スキルを身につけることができれば、数多くの種類のアリの巣で生き延びることが可能になります。
今回の研究は、目先の安全性や効率を上げるために特化するより、汎用性の高いスキルを進化させたほうが長期的に役立つ場合があることを示しています。
今後、アリヅカコオロギなどの好蟻性生物の神経回路や遺伝的基盤を解明することで、アリと他の生物が繰り広げる「だまし」と「見破り」の共進化のメカニズムを一層深く理解できるでしょう。