不和が発生し「2つの派閥」に分断、8名が迎えた最期とは?
食糧も満足に得られず、酸素が薄くなるにつれ、クルーたちの士気が低下し、精神的な疲労が目立ち始めました。
ネルソンは「無駄なエネルギーを使う余裕がないので、私たちはまるでスローモーションのダンスをしているように緩慢に動いていた」と話します。
さらに地獄だったのは、このプロジェクトが当時からメディアの注目を受けていたため、実験を一目見ようと、多くの人々が毎日のように押し寄せていたことです。
施設は太陽光を入れるために全面ガラス張りでしたから、クルーたちは常に人目にさらされていました。
クルーの一人であるリンダ・リーはこう話しています。
「毎日、観光客や学校の子供たちを乗せたバスがやって来てはガラスを叩いたり、やせ細った私たちの写真を撮っていました。
一度、動物行動学者のジェーン・グドール(チンパンジー研究で有名)が訪れて、まるで私たちを囚われた霊長類のように観察していました。
ガラスにコップを投げられたり、唾を吐かれることもありましたが、幸いなことに暴力は起こりませんでした。
次第に私たちの間でも冷たい空気が張り詰めて、お互いに近くにいたくない、そんな雰囲気に飲み込まれていきました」
ついにはクルーの間に集団的な対立が勃発し、2つの派閥に分かれます。
「酸素や食糧を外部から送ってもらうべきだ」とする派閥と、「いや、実験を完遂するために自分たちで乗り切るべきだ」とする派閥です。
双方互いに譲ることなく、当初は親しい友人同士だったはずのクルーたちが、今や仕事に必要な最低限の会話を交わすだけの仲になってしまいました。
しかし酸素濃度の低下は収まらなかったため、結局は外部と連絡を取り、酸素と食糧を供給してもらっています。
この時点で実験開始から16カ月が経過していました。
ただ酸素と食糧が得られたクルーたちは目に見えて元気になり、「みんな突然大笑いしながら走り回っていた」とネルソンは話します。
また彼はこう続けました。
「まるで90歳の老人から10代の若者に戻ったような気分でしたよ。それで、ふと気づいたんです。『そういえば、何カ月も誰かが走る姿を見ていなかったな』ってね」
それほどにバイオスフィアの住人たちは弱りきっていたわけです。
最終的にクルーたちの仲も元通りに戻りましたが、「閉鎖空間の中で自力で生きられるか」という実験目標は失敗に終わりました。
これ以上続けても危険であるため、バイオスフィア2は実験開始から2年後の1993年9月26日に終了。
また1994年に第2回が実施されたものの、わずか半年で終了しています。
当初の構想ではクルーの交代制で100年継続する計画でしたが、望んだ成果は得られず、プロジェクト自体も幕を閉じました。
では、バイオスフィア2の施設はその後どうなったのか?
1994年6月、2回目の実験の途中で運営会社が解散し、施設は宙に浮いた状態となりました。
一度は住宅や店舗建設のため取り壊される予定も持ち上がりましたが、2011年にアリゾナ大学が研究用施設として所有権を取得。
現在では、月や火星で野菜を栽培する方法を調べたり、生命のない土壌が数年かけて肥沃な土壌に変わるプロセスを解明する研究が続けられています。
今の段階では、他惑星にドーム型の居住室を作ったとしても、そこで人類が何十年、何百年と暮らしていくのは難しいのかもしれませんね。