史上初、銃殺刑直前の心拍数を計測する
1938年10月31日、仲間の囚人たちが鉄格子を叩いて騒ぎ立てる中、ディーリングは至って冷静な表情で刑場へと歩いていきました。
椅子に腰掛けると、心拍数を測るための電子感知器が取り付けられました。
執行官がすぐ側で死刑執行令状を読み上げる際も、ディーリングは最後のタバコを吸いながら平然とした態度でそれを聞いていました。
午前6時30分、看守がディーリングの頭にフードをかぶせ、胸に標的のマークを留めます。
少し離れた場所で看守が銃を構えたところで、心電計が静かにディーリングの鼓動を記録し始めました。
彼は冷静な態度こそ崩さなかったものの、心電図は彼の心臓が早鐘のように激しく打ち鳴らされているのを明らかにしました。
安静時の平均心拍数は1分間に約72回でしたが、ディーリングの心拍数はそれをはるかに上回る毎分120回に達していたのです。
執行官がディーリングに最後に何か言いたいことがあるか尋ねると、彼は最後にこう話しました。
「刑務所長が私にとても親切にしてくれたことに感謝したいと思います。さようなら、幸運をお祈りします… さあ、やってくれ」
執行官が発砲を命じた瞬間、ディーリングの心拍数は毎分180回まで跳ね上がっていました。
その直後、4発の銃弾が放たれ、彼の胸に撃ち込まれました。
そのうちの一発が心臓の右側に直撃し、彼の心臓は4秒ほど痙攣したのち、一拍おいてまた痙攣を起こします。
その後、ディーリングの脈拍はゆっくりと遅くなっていき、心臓に銃弾を受けてから15.6秒後に心拍が止まりました。
ところが心臓が鼓動をやめてからも、ディーリングはしばらく椅子の上で身悶えしながら、約1分間ほど呼吸を続けていたのです。
心臓が止まってもすぐに死に至ることはありませんでした。
そして心臓が止まってから134.4秒後にすべての身体機能が停止し、ディーリングに死亡判定が下されています。
1938年10月31日午前6時48分のことでした。
その翌日、この異例の実験は全米の紙面に取り上げられ、そこでベズリー医師がディーリングにある種の賛辞を送っています。
「心電図は彼の堂々とした態度の裏で脈打っていた本当の感情を暴露していました。彼は明らかに死を恐れていたのです。
それでも彼は平静を保ち続けていました」
ディーリングがいくら不幸な境遇に苛まれたとはいえ、当然ながら、罪なき人の命を奪ったことは断じて許されるはずもありません。
しかし極限の恐怖に押し潰されそうになっても、それを表には出さず、冷静な態度を保ち続けた彼の最期には何か目を見張るものがあるのではないでしょうか。