なぜ物価高なのに消費税を上げるのか?
いろいろ複雑にねじれているとは言え、現在の日本はインフレ率が上がり、通貨安となっています。
結論から言うと、現在のような「インフレ+通貨安」の状況に対して、増税で対処しようとすること自体は“理論的には妥当”と言えます。
経済理論では、物価が上がりすぎている(インフレ)ときは、市場に出回っているお金を減らす必要があるとされています。そしてMMTではその手段の一つが、「増税」によってお金を回収することだとしています。
通貨の価値の変動は、ワゴンセールや転売屋の横行と原理は同じです。在庫が多すぎれば価値が下がりワゴンセールになるし、減らせば価値が上がっていきます。インフレは通貨の出回る量が多すぎて価値が下がっている状態なので、増税で回収して量を減らせばいいのです。
そのため「増税が必要」という議論になるのですが、しかしここで大事なのは、MMTでは「富裕層、資産家から税を取るべき」と明確に言っている点です。
MMTではインフレに影響のあるお金に余裕のある人(富裕層、資産家)から税を取ることで、インフレを抑えられるとしていて、そのために、所得税や資産課税など累進課税(所得が高い人ほど負担が重い)の強化が必要と述べています。
にもかかわらず、現実の日本では「消費税(低所得者に重い)」「社会保険料(所得に対して逆進的)」「医療・教育の自己負担増」といった所得が低い人ほど負担が重くなる“逆進的”な税ばかりが議論されています。
日本は、本格的なスタグフレーションとは異なりますが、格差によって“一部の人々にとってはそれと同じような状況”が生まれています。
このような状況で行うべきは、インフレを加速させる層をターゲットにした課税であり、庶民の生活を直撃するような逆進的な増税ではありません。
ではなぜ、MMTが本来勧めるような「富裕層への課税」ではなく、「消費税」や「保険料」という庶民の生活を圧迫する税が選ばれるのでしょうか?
まず大きな要因は富裕層や企業からの増税は、政治的リスクが高いということです。
富裕層や大企業は、政治献金などを通じて政治的な影響力を持っています。彼らに不利な政策はそもそも政府は取りづらいという状況があるのです。
また法人税や金融所得課税を強化すると、企業活動や投資家の“逃避”が起きるという懸念があります。
一般向けのコラムでも、「財産を税金の安い国に移しましょう」なんて話しが出たりするくらいです。巨大な財産を持つ人達は、もっと真剣に増税に対して自分たちの資産の逃避先を検討するはずです。
もちろん富裕層への課税で、簡単に国内の資産が海外へ移されるとは限りません。しかし政治家が及び腰になるには十分な理由です。
一方、消費税や社会保険料は「広く薄く取れる」という特徴があります。所得に関係なく誰からも取れる税なので、世論も「平等に払っている」という印象を持ちやすく、政治的反発も分散します。
なので消費税にスポットが当たるのですが、消費税や社会保険料は、単なる財源確保の“手っ取り早い”手段として好まれる税なのであって、今回のようなインフレ制御の観点から考えると、まったく役に立たちません。
そもそも通貨発行できる国は財源確保のための増税は不要というのがMMTの基本的な考え方で、増税はあくまでインフレを制御するブレーキだと解釈されています。
そのため経済理論上、今日本で議論されているような増税はまるで意味がないのです。
では、なぜその“反発”が十分に起きないのか?
ここで大きなカギになるのが 投票率の偏りです。日本の全体投票率は 50〜60%前後で先進国の中では低い水準です。
特に 20〜40代の若年層・低所得層の投票率はさらに低いと言われています。一方で、高齢層・中〜高所得層の投票率は高く安定しています。

つまり、民主主義では本来優位なはずの数が多い低所得層ほど政治に影響がなく、少数の富裕層ほど政治的影響が強いという逆転現象が起きているのです。
これは経済理論の中でも、あまり想定されていない問題でしょう。
そのため政府が逆進的な増税を選ぶのは、単に政府が経済理論に無知だからではなく、政治的な力学によってそうせざるを得ない構造が日本にあるのです。
だから投票に行けとよく言われるわけですが、正直投票に行ったところで、「投票すべき政治家なんていないじゃん」と思っている人がほとんどでしょう。
「消費税ゼロ!」を掲げている政治家は、単に庶民から票を集めやすそうだから考えなしに言ってるだけの印象が強く、本当に議席を取らせて大丈夫なのか、不安しかありません。
投票率の低さは単なる無関心ではなく、投票先がないという理由が大きいのは、世間を見ていればわかります。
「投票したい政治家がいないから行かない」という気持ちはもっともです。しかし“投票に行かない”という行動自体が、今の政治に対する最大の“黙認”になってしまっているのが現実です。
多くの人が「投票したい候補がいない」「誰に投票しても同じだ」と感じているのは自然なことです。
しかし、選挙で最も影響を持つのは、投票結果よりも、投票率の分布です。
ある政党が「20代の投票率が10%しかない」と知れば、その世代のニーズは無視されやすくなります。逆に「若年層の投票率が上がってきている」となれば、政策に配慮せざるを得なくなります。
政治家は当選しなければ無職になってしまいます。政党は当選者が減ればその力が大きく減退します。投票率の高い層を無視して選挙に臨むなんて賭けはできないのです。
つまり、「誰かに勝たせる」ことよりも、「自分たちの存在を政治に知らせる」ことに意味があるのです。
嫌いな政治家を避けて“投票”するだけでも、社会を変えるために有効な行動

たとえば、あなたがこう考えていたとします。
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「どの政党も完璧じゃない。でも、このまま自民党に白紙委任はしたくない」
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「維新は怖いし、立憲もイマイチ納得できない」
こうなると確かに投票先がありません。でも、投票率が上がれば“自分たちは無関心じゃない”と伝えられます。
このとき、「とりあえず嫌いな政治家を避けて一票」「勝たせたくないところを避けて一票」という消極的な動機であっても、その投票は確実に政治家にとっての“圧力”になります。
ベストを選ぶのではなく「ワーストを選ばない」一票に意味があります。
「このままでいい」と思われることだけは避けなければいけません。
それが、選挙における最小限の行動であり、今の政治が低所得層を無視していい理由を一つ減らすことに繋がるのです。
なんで今この国は、私たちはこんな状況なのか? その仕組みを知ることができれば、考える力と声を上げる力につながります。それが、変化の第一歩になるかもしれません。
ただ、ここにはひとつだけ注意も必要です。
歴史的に見れば、選挙という民主的な制度を通じて独裁的な体制が成立した事例があります。ドイツのナチス政権がその代表例です。消極的な投票が結果として過激な選択肢を後押しすることもあるという現実は、私たちが慎重に投票行動を考えるべき理由でもあります。
こんな時代なので、まさに「自分の理想通りの政策を掲げてくれてる!」と思う政治家がいたら熱狂してしまう人もいるかも知れません。そんなときは逆に政治に入れ込みすぎない冷静さをちゃんと保ちましょう。
政治も経済も加熱しすぎたらブレーキをかけて制御することが何より重要なことなのです。
投票したい政治家がいないのなら自分が政治家になれよといつも思うのですがね。
何でそんなに他人任せな人生送っているのかと。
一般人がやろうとすると金が足りないコネもないでまともに土俵に立つのがやっとだし、土俵に立った上で相撲するなんてとてもじゃないがやってられない。
生活するのがやっとだというのに、何百万もリスクに晒せるわけがない。だから個人単位での幸福を追うと他人に任せるのがベターな選択肢となる。
人に投票する仕組みと政策に投票する仕組みを並列させれば解決するのでは
その考えを支持します。独善的な政治家(自分の利益を重視)と、ポピュリズムに陥りやすく時間割引率の高い国民(これも自身の目先の利益を重視)とでバランスがとれそうですが、日本は権威主義直系家族社会で国民も不平等や自己責任論が大好きなので、国民が望む政策も今とあんまり変わらない気もします。また国民の意見が政治に強く反映されたら、政府の政策は国民自身が決めたと言う理屈から国民はそこに逆らえなくなるリスクも増大します。明治以降に起きた国民国家化・全体主義化が強まる訳です。例えば経済的に中央値層が数で大きな力を持つと、金持ちと貧困層は弱り、金持ちは困っても良いけど貧困層は今以上に堂々と叩かれる恐れがあります。日本の貧困率がOECD38か国中で5~10位と高めなのも政府のせいというより国民性の反映です。
アメリカ国民はトランプも民主党同様に貧富格差を拡大し続けている事に気づかないか抵抗できていなくて、国民が望んだ人と政策が一致しているのに結局この記事の日本同様に国民下位層の貧困化が進んでいるのを見る限り、何かもう一つ分権主体が欲しいです。アメリカ国民に限れば人を見る目も政策を見る目も無く自爆し続けているのと同じ事が日本でも起きてしまい結局何も変えなかったのと同じになる可能性があります。ただ俺もそのもう一つが何なのか思いつきません。
政府がなぜ国民の反発に対して増税しようとするのか、またそうなった経緯は何かということが簡潔にまとめられていて非常に良かった。
投票において、若者世代の存在感を示すことと、ワーストを選ばないという考え方は今までなくて、自身の一票も価値があることを再認識させられた。
ナゾロジーにこういう記事はめずらしいですね
いつもは物理やテクノロジー系の記事をむさぼっているのですが、久しぶりに社会・経済で読み応えのある記事でした
やはり日本政府の政策はおかしかったのだ!と激しく同意する反面、自分も色々と勘違いしていて理解不足があったんだな、と反省しています
消極的な無投票という選択をこれまでよく取ってきました。次回は必ず行くようにします。不都合なことでも正しくアナウンスしてくれる政治家を選ぼうと思います。
もう、そうすると共産党とれいわ新選組しか選択筋ないですけどね 僕はどちらかに入れます
それこそ単に庶民から票を集めたいだけで本当に議席を取らせて大丈夫なのか不安しかない考えなしの政党、の代表格なんじゃないのか
選挙いかないよりはましかもしれないけど
社長の平均年収の推移とか報道されないもんね。都合の悪いこと見えない様にしてたら反動が怖いと思わないのかなぁ
所得は社会への貢献によって左右される。逆に言えば、高所得は社会への貢献の指標である。
そう考えると、高所得者への累進課税は、国民に対し「社会に貢献するな」という政策に他ならない。
もちろん、反社会的行為によって一時的に所得を得る層が出現する可能性はあるが、
これは法制度設計の問題として個別に取り扱うべきで、「社会に貢献すれば高所得が得られる」ことを
国民に約束することに問題はない。今、日本に求められていることは社会への貢献がストレートに
所得に反映される社会制度を作り上げることである。
この種の話の根本的な間違いはインフレにすれば景気が良くなると考えた事にある。
コレは本来、本末転倒の考え方でしかない。なぜ景気が良い時にインフレになるかと言えば、物の生産量に対して需要が多いからで、需要を満たす為に設備投資をしたり人を雇用したりして生産量を増やす為結果として好景気となる。
需要がないのに通貨量を増やしてインフレを起こしても消費が喚起されて好景気となりはしない。
物凄く分かりやすい記事でした。このライターさんの記事がもっと読みたい!