睡眠中の脳は未来の記憶を仕込んでいた:最新研究で判明
睡眠中の脳は未来の記憶を仕込んでいた:最新研究で判明 / Credit:Canva
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睡眠中の脳は未来の記憶を仕込んでいた:最新研究で判明 (2/3)

2025.05.07 22:00:00 Wednesday

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脳は寝ている間に昨日の記憶を整理し、明日の記憶を密かに仕込んでいる

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図は、海馬CA1という“脳の図書館”を舞台に、赤と緑の丸で示された二つの神経細胞集団がリレーのように記憶を受け渡す様子を描いた概念図です。赤い丸はマウスが未知の空間を探索する「経験A」の最中に活動し、その出来事を符号化するエングラム細胞、いわば「昨日の記憶担当」です。稲妻マークは、まさにその細胞が発火している瞬間を示しており、体験の最中に記憶タグを付けていることを視覚化しています。一方、緑の丸は一見ふつうのニューロンですが、実は睡眠中にこっそり同期し始め、次の日に起こる「経験B」の記憶を担う準備を整える“エングラム予備細胞”です。図はまず、経験Aをする前の睡眠段階で緑の細胞がひっそりと結束を固め、続いて覚醒時に赤い細胞が一斉に発火して経験Aを記憶する場面を示しています。さらに、経験後の睡眠では赤い細胞が復習のように同じ発火パターンを再生して記憶を強化するのと同時に、緑の細胞が一段と結束を強めて「明日の記憶担当」へと昇格する過程も描かれています。つまり図1は、睡眠という一つの時間帯の中で、「昨日の出来事を固定化する赤い細胞」と「明日の出来事を待ち構える緑の細胞」が並行して働き、脳が過去の整理と未来への投資を同時にこなす“二刀流”であることを示しています。/Credit:脳が未来の記憶に備える重要なプロセスを発見— 睡眠は単なる休息ではない —

研究チームはまず、自由に動き回るマウス内でリアルタイムにエングラム細胞の活動を観察することにしました。

脳の記憶中枢である海馬(かいば)のCA1領域に微小レンズを挿入し、遺伝子改変で蛍光タンパク質を組み込んだマウスを用いることで、どの神経細胞が活動しているかを光で可視化できるようにしたのです。

これにより、マウスが新しい環境を探索している最中や、その前後の睡眠中に、海馬のどの細胞が活動しているか(エングラム細胞かどうか)を詳細に記録することが可能になりました。

具体的には、マウスに2日間にわたる体験をさせ、その合間の睡眠中の脳活動を観察しました。

1日目、マウスをまったく初めて見る環境A(例えば円形の部屋)に入れて自由に探索させます(「経験A」)。

その直前と直後にはマウスは睡眠をとっており、研究者たちはその間の脳内活動も記録しました。

翌日2日目、マウスはまず再び環境Aに入ります(前日の記憶を想起する状況)。

続いて、形や匂いの異なる新しい環境B(例えば四角い部屋)を探索させました。

こうして「睡眠 → 経験A(環境A探索) → 睡眠 → 環境A再訪 → 経験B(環境B探索)」という一連のセッションで、海馬CA1中の数百個におよぶ細胞活動データが得られました。

研究チームはこの膨大なデータを解析し、どの細胞群がどのセッションでまとまって活動したか(すなわち細胞集団活動パターン)を抽出しました。

その結果、非常に興味深い事実が次々に明らかになりました。

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図は、海馬のCA3領域からCA1領域に情報が伝わる神経回路モデルを使って、睡眠中のシナプス調整がどのように未来の記憶担当細胞(エングラム予備集団)を生み出すかを示したものです。図の左側にはCA3神経細胞からCA1神経細胞へ向かう矢印が並び、矢印の太さがシナプスの強さ(情報伝達の効率)を表しています。まず経験Aの段階では、CA3から送られる特定の入力パターンに対してCA1内の一部の細胞が大きく反応し、そのシナプスが太く強化されます。これが「エングラム細胞」の形成過程です。次に睡眠中には、シャープウェーブ・リップル(SWR)波という脳波に伴い、エングラム細胞のシナプスは保護されつつも不要な結合は弱まる一方で、全体のシナプス結合のバランスを保つシナプススケーリングが働きます。その結果、もともと目立たなかった別の細胞群が次の入力パターンに敏感に反応するようになり、これが「エングラム予備細胞集団」として浮上します。最後に経験Bが到来すると、この予備細胞集団のシナプス結合がさらに強化され、正式に経験Bのエングラム細胞へと昇格します。図は、こうした一連のシナプス動態が「過去の記憶の整理」と「未来の記憶の仕込み」をつなぐ仕組みを示しています。/Credit:脳が未来の記憶に備える重要なプロセスを発見— 睡眠は単なる休息ではない —

では、その主な発見を順を追って見てみましょう。

エングラム細胞は学習前の睡眠中からすでに活動している

– 解析の結果、1日目の新しい環境Aの記憶を担うエングラム細胞集団は、経験Aをする前の睡眠中の時点で既に一度まとまって活動していたことが分かりました。

つまり、マウスが環境Aを初めて体験する前に、将来その経験Aの記憶を担う細胞グループが睡眠中に「予行演習」のように活動していたのです。

さらにその細胞グループのうち約半数は、経験Aの後の睡眠中や翌日の想起時にも再び出現(リプレイ)しました。

これは、それらの細胞が実際に経験Aのエングラム細胞(記憶細胞)となったことを裏付けています。

次の記憶を担う“エングラム予備細胞”が睡眠中に出現する

– 続いて、その「未来の記憶の担い手予備軍」がいつ現れるのかを調べました。

すると、環境Aの経験直後の睡眠中に現れた別の細胞集団が、翌日の環境B体験中に再び活動することが判明しました。

この細胞集団は、活動パターンに特徴的な繰り返しが多く見られる点や、全細胞中に占める割合がエングラム細胞とほぼ同じ約8%である点などから、エングラム細胞と同様の特徴を備えていました。

つまり、このグループこそ次の新しい経験Bの記憶を担う「エングラム予備細胞集団」であると考えられたのです。

興味深いことに、この予備細胞集団の出現は睡眠中にのみ見られ、覚醒中には確認されませんでした。

脳は眠っている間にこそ、次に来る体験に備えて新しい記憶の器となる細胞グループを立ち上げていたのです。

「未来の記憶」予備細胞は前の記憶のリプレイと同期していた

– さらに分析を進めると、エングラム予備細胞集団は睡眠中に起こる前の記憶(環境A)のリプレイ(再現)と同じタイミングで活動していることが分かりました。

過去の複数の記憶を同時に再生することで新しい情報を生み出す──睡眠にはそんな働きがあることが最近の研究で示唆されています。

今回の結果もまさにそれを裏付けるもので、前日の記憶を担う細胞が再活性化した瞬間に、次の記憶を担う細胞集団が現れるという現象が確認されたのです。

これは、過去の記憶の定着(再生)と未来の記憶の準備が、睡眠という同じ時間の中で並行して行われていることを直接示す発見と言えます。

睡眠中の脳内ネットワーク再編成が「未来の記憶」に備えるカギ

– では、なぜ睡眠中にこのような未来の記憶の予備細胞が生まれるのでしょうか。

そのメカニズムを探るため、研究チームは海馬回路のコンピュータモデルを構築しシミュレーションを行いました。

ポイントは睡眠中に特有の二つのシナプス(神経接続)変化です。

一つは海馬で起こるシャープウェーブ・リップル(SWR)という高速波イベントで、これは深い眠りの間に起こり記憶の再生を伴う脳波です。

モデルでは、SWRの作用によりエングラム細胞へのシナプス結合が強く保たれ記憶が固定される一方で、他の細胞に対する不要な結合は弱められるように設計しました。

もう一つはシナプス・スケーリングと呼ばれる仕組みで、各ニューロン(神経細胞)への入力の総量を一定に保つよう全体の接続強度を調整する現象です。

このモデル上で先ほどのマウスと同じように「経験前→経験A→睡眠→経験B」の学習を再現すると、実験と同じくエングラム細胞とエングラム予備細胞集団の出現が確認されました。

逆に言えば、SWRによるシナプス弱化やスケーリングの要素を取り除くと、予備細胞集団はうまく現れなかったのです。

このことから研究チームは、睡眠中の特殊な脳活動によって不要な結合が「整理整頓」され、そのおかげで将来の新しい情報に備えた回路が生み出されると考察しています。

言わば脳は睡眠中に、前の経験に関連する不要・弱い結合を整理し、新しい経験を受け入れるためのネットワーク再編成を行っているのです。

次ページ睡眠は「過去の整理」だけでなく「未来の記憶への投資」でもある

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