5:AIが人間よりも生成AIを上手く使いこなせる未来
生成AIが登場した当初、私たちは「AIを上手に操れれば生き残れる」という希望を胸に抱いていました。
プロンプトの書き方を磨き、「ツールの熟練度」でクライアントに差をつける──それはAI絵師だけでなくAIを利用する人間絵師やデザイナーにとって、いわば最後の武器でした。
「呪文」と呼ばれるキーワードの組み合わせ次第で、同じモデルでも仕上がりが劇的に変わる──この“コツ”を掴んだクリエイターは、短時間で高品質なラフを量産し、制作工数とコストを圧縮できました。
プラットフォームでも「AI+人間」のハイブリッド案件が急増し、ツールの使いこなしがそのまま報酬に直結する“黄金期”が訪れたのです。
「この言葉で出力が全然違う!」という文句を、一度は聞いたことがあるはずです。
ところが2024年以降、その盾ごと足もとから崩れ始めています。
AIどうしが自律的に連携し、タスクを分解し、最適解を量産する“自己最適化エージェント”が次々と誕生し、人間が入力するプロンプトすらAIが自動生成・改良する時代が到来したからです。
AutoGen、CrewAI、/dev/agents といったフレームワークが登場し、AIが別のAIを呼び出してタスクを丸ごと自動化する仕組みが実用段階へ進みました。
たとえばコード生成AIがテスト用AIを呼び、デザインAIが複数の画像モデルを並列動作させ、評価AIがクリック率で瞬時にスクリーニング──このサイクルはマイクロ秒単位で回り、人間の介在余地をほぼ消し去ります。
ここで最も恐ろしいのは、その生成数です。
AIたちが作る1つ1つの仕事や作品には、確かに人間に及ばないものも多く存在します。
しかし人間が1つの作品を描く間に、AI群は膨大なトライアンドエラーを繰り返し、大量の生成を行います。
そしてその膨大な生成物の中には、必然的に人間を超えると評価されるものも出現してしまいます。
結果として「大量試行→最適案抽出」のコストパフォーマンスが、最高のAI熟練度を持つ人間チームを圧倒し、ツール熟練だけを武器にしていたクリエイターの価値が急速に希薄化し始めました。
このような状況では「人間のAIを操る腕前」は差別化ポイントになりにくく「AIを使いこなす腕前=高収入」の公式が音を立てて崩れつつあります。
大手企業が大量の生成画像から最適なものを選べる人材を高額で雇おうとしているのも、AIの大量試行が並みのクリエーターの1作よりもコスト面で優れていると判断したからでしょう。
スタートアップにお金を出す投資家たちが、こぞってAIを作る会社やその基盤技術に資金を注ぎ込むようになったのも状況証拠になり得ます。
AIエージェントはプロンプト生成・改良・検証まで自動で行うため、昨日覚えた“秘伝の呪文”は翌日には陳腐化します。
しかも、評価ロジックや中間生成物はブラックボックス化が進み、「どの設定が良かったのか」を人間が追跡できません。
こうして“ツールを上手く使える人間”という最後の優位性は、AI自身に吸収される流れとなりました。
クリエイター掲示板には「半年かけて覚えたノウハウがアップデートで無価値になった」「プロンプトエンジニア職が自動最適化ループに食われた」という嘆きが溢れ、仕事の椅子取りゲームはさらに過酷さを増しています。
この流れは今後も加速していくと考えられており「人間に生成AIを使わせるよりもAIに生成AIを使わせたほうが遥かにいい」という時代が訪れるでしょう。
闇が深まる一方で、それでも完全には奪われない領域がかすかな光を放っています。
第一の光は「価値と目標を決める力」です。
AI は提示された目的関数に従順なだけで、ブランドの世界観や作品が持つべき意味を自ら定義することはできません。
どの方向に魂を込め、どこで立ち止まるか——その最終判断は依然としてクリエイティブ・ディレクターや編集者など、人間の審美眼に委ねられています。
第二の光は先にも少し触れましたが「人間らしさそのものに宿る共感価値」です。
AI が均質な最適解を量産するほど、手間ひまや失敗を含めた生身のプロセス、作者の背景や生きざまに触れられる作品には希少性が宿ります。
制作裏話をライブ配信するクリエイターに支援が集まる現象は、その証左と言えるでしょう。
また人間のクリエーターが希少になるにつれ、人間が作った作品にはプレミア感が与えられるようになるはずです。
CDショップが街中から姿を消した一方でレコードショップが未だに存在しているように人間のクリエーターという希少職業は絶滅せずに残るはずです。
さらにもしAI制作の知識がクリエーターにあれば、自分の思想や理念をより反映したAIに作品を作らせるといったことができるようになるでしょう。
もし今の仕事に暇があったら、生成AIについて学んでおいた方がいいかもしれません。
単にプロンプト入力されてAIが生成した画像について著作財産権を認めなければ、
企業は世に出したものがコピーされて販売されるのを恐れて使用を避けるはず。
単にプロンプト入力されただけの画像とか、少し手直ししただけの画像に著作権が認められたら終わり。
本当に好きなら金にならなくても続けると思いますけどね。
お金にならないからしないっていうのは好きじゃなかったんですよ、本当は。
それが分かってよかったじゃないですか。
外発的な動機付けで行われる行動はどのみち長続きはしません。
飯が食えない=続けられない、という発想は無いのですか?
趣味で飯食う気がないならそうかもしれないですけどね。
好きでもお金が出なきゃ持続可能性がなくて辞めざるを得ないやろ ボンボンしかやってないわけではないんやし
金にならないなら他の方法で金を稼ぐしかない
他の方法で金を稼いでいたらその分の時間は使えなくなる
好きでも金にならなきゃできなくなるっていうのはそういうことだろ
そういう浅慮な人間が多いから今のような状況を招くんだろうな
本当に何かに打ち込んだことがなく、想像力もない人の台詞ですね。
クリエイターも、けっして、あなたが想像するような純粋で美しいものではありません。
大工仕事が好きな人が大工で食えなくなっても大工を続けられますか?
生成AIが単に賢いおもちゃで終わるのか、
それとも、シンギュラリティへの前奏なのか
> ブランドの世界観や作品が持つべき意味を自ら定義することはできません。
定義してくれと頼めば定義してくれるで。
「自ら」と書いてあるの、読めない?
上手い絵美しい絵よりいかにも手描きくさいラフな絵の方にいいねが付くようになった気はする。
そしてAI絵師さん達にもそれぞれ特有の作風が確立されつつある。
本当、手描きの意味って…。
衝撃のータ というのが何を指すのかよくわかりませんでした
確かにそうですね。
AIが何の為に絵や音楽や諸々を生成するかと言えば、人間自身が楽しむ為なのだから。
それを決められるのは人間だけでしょう。
少なくとも娯楽エンタメ文化ではAIに完全に役割を奪われる事はどれだけAIが進化しても無い…
と思いたいが、人間自体が退化しエンタメを楽しむ希薄も無くなり、AIが自我の様なものを持つ様になってしまえば
AIが文化や娯楽の方向性を決めて人間がそれに従うという事にもなりかねないかも知れません。
実はAIの未来を担っているのはクリエイターよりもむしろ一般のエンタメ享受者の価値観の方なのかも知れません。
そもそも絵で食っていくなんてのが狭き門で、本来非現実的な話だったのがここ10年ほどのバブルで無駄に絵師が増えていただけ
絵描きなんてさほど社会に必要な仕事でもなく、数える程の天才がいればそれでいいわけで、技術革新によって本来あるべき数に戻っていくだけだろう
世間に広く名が売れているわけでもない絵師がAIに反発しているのは勘違いも甚だしくて、AIごときでモチベーションが落ちるような熱意ならさっさと筆を折って消えた方がいい
誰も困らないから
本当に好きだから金にならなくてもやるんじゃなくて、好きなことが金になるからそれで食っていってるって言う話。
その好きなことが金にならないなら別のことで金を稼がないといけなくなるから、好きなことができる時間が減るって言うこと。