「ほぼ毎回エネルギーがタダになる」――ナノマシンが見せた驚きの挙動

果たして、理論上の限界まで「第2法則を破ったように見える」現象を実験的に起こせるのでしょうか?
研究者たちは、この疑問を確かめるために非常に小さな装置を作りました。
それは「マイクロカンチレバー」と呼ばれる、髪の毛よりも細い板ばねのようなものです。
この板ばねはごく小さく軽いため、常に空気分子の衝突を受けていて、静かに見えても実際にはわずかに揺れ動いています。
イメージとしては、水に浮かぶ木の葉が絶えず波に揺られている状態に近いでしょう。
研究者たちは、この小さな板ばねのすぐ近くに電極を配置し、そこに電圧をかけることで、板ばねの動きを細かく制御できる仕組みを作りました。
具体的には、電極にかける電圧を変えることによって、板ばねを2種類の「振動状態」へと切り替えられるようにしたのです。
ひとつは、板ばねがほぼ真っ直ぐの位置で細かく安定して振動する状態、もうひとつは、少しだけ上に傾いた位置で振動するやや不安定な状態です。
通常、こうした状態の切り替えをする場合、熱力学の第2法則によって必ず一定の「労力(エネルギー)」が必要になると決まっています。
たとえば、物体を下から上に持ち上げるには外部からの力が必要になるのと同じように、本来板ばねをある安定な状態から別の不安定な状態に動かすにはエネルギーを与えなくてはならないはずです。
そこで研究チームは板ばねの自然な熱の「ゆらぎ」がこの上下動作を担うことで、板バネの状態変化に必要な電力消費を異常に少なくできる状況を模索しました。
つまり、偶然の力を使って板バネを低エネルギー状態から高エネルギー状態のような状況にする戦略です。
すると研究チームがこの実験を数千回繰り返してみたところ、なんと95パーセントという驚くほど高い確率で、本来は外からのエネルギーが必要なはずの状態変化を「ほぼ自然に起こった」ように見せることに成功しました。
「エネルギーが必要なのにそれを95%で回避する」という結果は、まるで熱力学第2法則に反しているように見えるでしょう。
これは自動車のエンジンやコップのお茶の温度など古典的な熱力学の常識と、小さな世界での熱力学を表現する「確率的熱力学」の見方を区別するための重要な結果と言えます。
小さな世界の確率的熱力学では次から次へと外れ値を作り出すことで、変化に必要なエネルギーを「ゆらぎ」から抽出できるのです。
同様の結果は別の研究でも得られており、その研究では電子が65%の時間で熱力学第2法則に違反するように誘導できることが示されました。
あえて極端な例で例えるならば、ゲームセンターで100円を入れてゲームをする必要があるのに、95%は100円を入れずにゲームをすることができる状況とも言えるでしょう。
しかし美味しい状況には大きな代償がありました。