ちょっとだけ頑張る余暇

これまでの研究結果から、私たちが余暇の時間をどのように過ごすかによって、「意味深さ」「充実感」「目的感」が大きく変わってくることが分かりました。
私たちは、忙しい毎日のなかで自由な時間(余暇)があると、つい楽な方法を選んでしまいます。
休日にソファで寝転がってスマホをずっと見たり、テレビや動画をただぼんやり眺めたりと、あまりエネルギーを使わない方法で過ごすことは、多くの人にとって自然なことです。
しかし、この研究は「本当にそれで良いの?」という大切な問いかけをしています。
研究によると、ちょっと大変でも自分が好きで選んだ遊び(努力的余暇)に取り組むと、より大きな意味や充実感を感じられることがわかりました。
私たちは普段、「頑張ることは疲れる」「努力は大変だ」と考えがちです。
確かに、宿題やテスト勉強のような義務的なことでは、「努力すればするほど疲れて楽しくない」と感じることが多いでしょう。
でも、余暇のように「自分が好きで選ぶ活動」では、多少努力が必要であっても、実は楽しさが減らないことが分かっています。
この研究の興味深い点はまさにここで、人は余暇の努力について、実際よりも「大変だ」と思い込みすぎている可能性があるということです。
実際、研究の筆頭著者はこの点について、「私たちは余暇における努力を、実際よりも大げさに嫌なものだと考えてしまっているかもしれません。実際には、少しだけでも努力をするほうが自分の行動を意味深く感じやすくなる可能性があります」と述べています。
つまり、「努力的余暇」には、私たちがイメージしている以上に、「やりがい」や「楽しさ」が詰まっているというわけです。
心理学には、「フロー」という有名な理論があります。
フローとは、スポーツや趣味、ゲームなど、自分の能力と課題の難しさがちょうど釣り合ったときに起こる特別な心理状態のことです。
この状態になると、人は時間を忘れてその活動に没頭し、最高に楽しくて充実した気持ちを味わえると言われています。
今回の研究から分かることは、まさにこの「フロー」につながるような活動、つまり自分にとって少し難しくて努力が必要な余暇を選ぶことが、重要な意味を持つということなのです。
では、私たちの社会全体にとって、この研究はどのような意味を持つでしょうか?
現代はロボットやAIの登場で、私たち人間の仕事や役割がどんどん減っていく時代になりつつあります。
一見すると自由な時間が増えて良いようにも感じますが、一方で仕事という「生きがい」を失ってしまう人が増えるかもしれません。
そこで重要になるのが、この研究が示した「努力的余暇」の考え方なのです。
今回の発見は、「努力的余暇」が将来的に仕事が減った社会で、人々の「人生の意味」や「幸福感」を支える重要な柱になる可能性を示しています。
つまり、余暇において受け身で楽な娯楽だけに頼るのではなく、趣味や遊びなどであえて自分から「挑戦する」「努力する」という意識を持つことが、人生の充実感や生きがいを高めるカギになるのかもしれません。
また、この考え方は、教育や子育てにも大切なヒントを与えます。
子どもに自由時間を与える際にも、テレビやゲームばかりではなく、パズルを解かせたり、工作やスポーツなど、楽しみながら少しだけ難しいことに挑戦させることが、子どもの将来の幸せや生きがいにつながる可能性があります。
もちろん、このような教育的効果については、今回の研究とは別にさらなる検証が必要ですが、将来の指針として重要な手がかりになるでしょう。
ここまでの話をまとめると、余暇の過ごし方一つで、私たちの人生は大きく変わる可能性があるということです。
「努力的余暇」の考え方は、楽な娯楽ばかりを選んでいる私たちにとって、「少し難しいけれど、自分が楽しめる挑戦をしてみよう」と呼びかけるものです。
皆さんも次の休みには、「少し頑張ってみようかな?」と感じるような活動に取り組んでみてはいかがでしょうか。
それが、あなた自身の人生をより豊かで充実したものにしてくれるかもしれません。
よし、フロー状態に入りますか…。(ベッドに入り意識を失う)
違う、これはただの瞑想じゃ、寝てるわけじゃない。
ちゃんと意識を失うまでの間に同人小説の話を考えているから、考えていたらたまたま気を失ってしまっただけだから。