記憶を固めるのは“3個の若いニューロン”

研究チームはまず、記憶を脳が定着させる仕組みを確かめるために、「恐怖記憶」というタイプの記憶を使った実験を行いました。
この恐怖記憶とは、「ある場所で怖い体験をすると、その場所自体を怖いと感じるようになる」という学習のことを言います。
具体的には、マウスを特定の小さな箱(実験用のケージ)に入れて、そこで短い電気ショックを与えるという方法を使いました。
すると、マウスはその場所を覚え、「この場所にいると怖い目に遭う」と学習します。
これが「文脈恐怖条件づけ」と呼ばれるものです。
この学習の過程で、研究者たちは特に脳の中にある「海馬」という部分を観察しました。
海馬は脳の中でも特に記憶を司る重要な場所で、さまざまな情報を「脳の記憶」として保存したり整理したりする役割を担っています。
そして海馬には、「新生ニューロン」と呼ばれる生まれたての若い神経細胞がわずかに存在しています。
研究チームは、この新生ニューロンが記憶の整理にどのように関係しているのかを確かめるため、マウスの海馬で新生ニューロンだけを観察できるような特別な工夫をしました。
その結果、研究者たちはまず予想外のことを発見しました。
なんと、記憶を学習した際に特に強く反応を示した新生ニューロンは、「1匹のマウスあたり平均わずか2.4個(約3個)しかなかった」のです。
これは海馬に存在する膨大な数の神経細胞の中でも非常に小さな集団で、まさに「少数精鋭」のチームといったところでしょう。
しかし、この極めて少数の新生ニューロンが実はとても重要であることを示す、もう一つの重要な結果も得られました。
それは、学習の後でマウスが眠っている間に起きていました。
マウスが「レム睡眠」という眠りの状態にあるとき、学習時に活発だった新生ニューロンが再び活動を始めたのです。
レム睡眠は夢を見るときに多い睡眠で、脳の中ではさまざまな情報が整理されていると考えられています。
つまり、この少数の新生ニューロンが、昼間に覚えた恐怖の記憶を睡眠中にもう一度短く「再演」し、その記憶を脳にしっかりと刻み込んでいる可能性が示されたのです。
では、この再演は本当に記憶の固定に必須なのでしょうか?
それを調べるため、研究チームは新生ニューロンの活動を人為的に止める実験を行いました。
レム睡眠の間だけ新生ニューロンの再活動を止められたマウスは、翌日、記憶のテストをすると、怖い場所に戻ったときの「フリージング(凍りつき行動)」が弱くなってしまいました。
フリージングは、マウスが恐怖を感じたときに身を守るために動きを止める行動です。
つまり、新生ニューロンの再活動が止まると、記憶がしっかり脳に残らず、翌日には薄れてしまったということになります。
興味深いことに、この新生ニューロンを止めるタイミングも重要でした。
同じ新生ニューロンでも、記憶のテスト中(つまり、昼間に記憶を思い出すとき)に止めても影響はありませんでした。
新生ニューロンは、記憶を固定する「眠っている間の作業」にのみ重要であり、「昼間に記憶を思い出す作業」には関与していなかったのです。
つまり、「記憶を固定する」と「記憶を思い出す」という二つの作業が別々に存在することが明確になりました。
さらに研究チームは、記憶の整理に関係する細胞の年齢や種類についても調べました。
新生ニューロンは若い細胞ですが、生まれてから10週間経った成熟した新生ニューロンや、生まれつき脳に存在している顆粒細胞(GN)と呼ばれる別の種類の細胞を止めても記憶には影響がありませんでした。
つまり、記憶の固定に必要なのは、「若い」新生ニューロンだけであることが示されたのです。
そして最後に、研究チームは新生ニューロンが活動する「タイミング」にも着目しました。
海馬では、レム睡眠の間に「シータ波」というリズムのある脳波が流れています。
研究チームはこのシータ波の波形を4つの段階(位相)に分け、どのタイミングで新生ニューロンが活動しているのかを詳しく調べました。
すると、「シータ波の上り坂のタイミング(位相1)」で新生ニューロンを止めたときに限り、記憶の固定が妨げられることが分かったのです。
他のタイミングで止めても、記憶は影響を受けませんでした。
つまり、新生ニューロンが脳の中で「正しいタイミング」で活動することが、記憶を脳に定着させるために不可欠であることが示されました。
これはまるで、音楽の演奏でリズムに正しく合わせることが美しい演奏に欠かせないようなものです。
こうして、研究チームは少数の新生ニューロンが記憶を整理し、定着させるための非常に重要な役割を担っていることを、明確に実証したのです。