光で“錯視細胞”を操作する──マウス脳で見えた新事実

新たな研究では、マウスの視覚野にある特殊な神経細胞を光で刺激することで、錯覚の映像を脳内に描き出すことに成功しました。
言い換えれば、視覚入力がない状況でも脳に「それが見えている」という錯覚的な活動パターンを生じさせることができたのです。
鍵となったのはカニッツァ図形の応用です。
カニッツァ図形は、「パックマン」に似た黒い形が4つ並んだ画像です。
このパックマンは、口のように一部が欠けていて、ちょうど向き合うように配置されています。
すると人間の脳には、なぜか中央部分に「見えない線」が現れて、実際には存在しない図形(たとえば三角形や四角形など)が見えてしまう錯覚が起きます。
この「見えない線」は、科学的には「錯視バー(IC)」と呼ばれています。
一方で、このパックマンの配置を少しだけ変えると、「錯視バー」は消えて見えなくなります。
研究者たちは、この2種類の画像をマウスに見せ、それぞれの場合にV1の神経細胞がどう反応するかを調べました。
その結果、とても興味深いことがわかりました。
マウスの視覚野(V1)にいる神経細胞のうち、約4.3%が、「見えないはずの錯視バー」がある画像(IC画像)を見た時だけ強く反応したのです。
研究チームはこの細胞を「ICエンコーダー細胞」と名づけました。
つまり、この細胞たちは、目に直接見えている部分ではなく、「実際には見えないけれど脳が推測して見えているもの」に特別に反応する細胞だったのです。
さらに研究チームは、このICエンコーダー細胞だけをレーザー光で人工的に刺激する実験も行いました。
すると驚いたことに、マウスの脳は実際には何も見ていないのに、「見えない錯視バー」を見た時とまったく同じ脳の活動パターンを示したのです。
一方で、ICエンコーダー細胞ではなく、「目に見える部分」に反応する別の細胞(セグメント応答細胞)を刺激しても、このような現象は起こりませんでした。
つまり「脳内でニセの線を見る」ためには、特定のICエンコーダー細胞を刺激することが重要だったというわけです。
ここで、研究チームはさらに踏み込んで調べました。
ICエンコーダー細胞が特別なのはなぜなのでしょうか?
実は、脳の視覚情報処理には大きく分けて二つの流れがあります。
一つは目から脳へ、下から上へと情報が流れる「ボトムアップ」と呼ばれる流れです。
目に入った情報はまず網膜から脳の奥にある視床を経由し、一次視覚野(V1)へ届けられます。
これが、私たちが「見る」という感覚の最初の入り口となる流れです。
もう一つが「トップダウン」と呼ばれる流れです。
これは脳の高次領野(より高度な処理を行う領域)が、一次視覚野に向かって情報を送り返す仕組みです。
上位の脳領域が「ここには四角形があるよ」と解釈すると、その指示が一次視覚野に送り込まれ、下位のニューロンたちが「了解!」とばかりに存在しない図形を描き足すという感じです。
まるで上司からの「見えないものを見る」という指令がV1の特定ニューロンに届き、私たちの知覚が補完されているかのようです。
研究チームは、このトップダウン信号がICエンコーダー細胞に集中的に届いていることを突き止めました。
つまり、ICエンコーダー細胞は上位の領域から特別に多く情報を受け取っており、それが「実際には見えない線を描く」特別な能力を持つ理由だったのです。
この研究によって、「錯覚という現象は、まず脳の上位の領域で生まれ、その予測信号が下位の一次視覚野に届くことで強化される」というモデルが科学的に支持されました。
これは、脳が実際に存在しないものをどのように作り出しているかを初めて具体的に示した、画期的な研究成果だったのです。