「負けグセ」は脳の奥でつくられていた
勝負を決める要因は「体格」よりも「経験」──そう聞いて、皆さんはどう感じるでしょうか?
普通は、「強い」と聞けば、体が大きくて力があることを連想しますよ。
実際、スポーツの試合でも体格の良い選手の方が有利そうに見えるでしょう。
ところが、経験豊富なベテラン選手に体格で勝る新人が簡単に負けてしまうことはよくあります。
「あの先輩、やっぱり経験が違うよね…」という会話を聞いたことがある人もいるでしょう。
この「経験がモノを言う」現象、実は人間だけの話ではありません。
動物の世界でも、群れの中には必ずと言っていいほど「ボス」と「部下」の序列(順位)が生まれます。
ボスは常に優先的にエサを食べたり、メスと交尾したり、いわば群れの「王様」として君臨します。
一方、部下は基本的にボスには逆らわず、争わずに譲る立場をとります。
なぜこうした序列が安定するのかというと、毎回争ってケガをするよりも、役割を決めておいたほうが群れ全体にとってメリットがあるからです。
つまり、力関係が決まっている方が、無駄な争いが減るわけです。
そんな序列ですが、必ずしも固定されたものではありません。
例えば、一度勝った動物は次の勝負でも勢いに乗って積極的になります。
一方、一度負けた動物は次の勝負に対して弱気になり、譲りがちになるという現象があります。
動物行動学では、これらをそれぞれ「勝者効果」と「敗者効果」と呼び、古くから観察されています。
たとえばヘビやザリガニを使った研究では、直前の勝負で負けた個体は本来ならば格下であるはずの相手にも撒けてしまうことが示されています。
さらに興味深いことに同様の勝者敗者効果は人間にもみられることがわかってきました。
ただ、「なぜ経験によって態度が変わるのか?」という脳のメカニズムは長らく謎のままでした。
「勝てば強気になり、負ければ大人しくなる」という現象は、単なる心理的な学習と考えられてきましたが、脳のどこでその変化が起きているかまでは分かっていませんでした。
近年、いくつかの脳領域が関与している可能性が示されています。
研究者の関心は、「前頭前野」という脳の前側の領域にも向いています。
また、ある研究では外側手綱核(がいそくたづなかく)という脳の奥深くを刺激すると、ボスの地位が下がったという報告もあります。
こうした諸領域が連携して、社会的な順位の変動を調整しているのではないかと考えられてきました。
しかし、それら「司令塔」からの指示を末端で受け、行動を切り替える場所がどこかは、これまで明らかではありませんでした。
そこで今回の研究チームは、線条体背内側部(略称:DMS)という脳の部位に目をつけました。
線条体は脳の奥深くにあり、私たちがそのときどきの状況に応じて動きを選ぶときの柔軟性(行動を切り替える力)を支える働きを持つとされています。
その中のコリン作動性介在ニューロン(アセチルコリンを出す連絡役ニューロン)は、脳内のわずか1%ほどしか存在しませんが、周囲の神経を調整する影響力が強いと考えられてきました。
そこで研究チームは仮説を立てました。もしかすると、マウスが勝ち負け経験を通じて行動を切り替えるスイッチは、この細胞たちかもしれません。